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2018-03-21 秀英舎『七ポイント半假名附活字見本』に見えないカタカナルビ付活字 このエントリーを含むブックマーク

1月に開催された〈連続セミナータイポグラフィの世界」6〉第3回「日本語活字を読み込む」の翌日、横浜開港資料館で、移管作業中の小宮山博史コレクションから幾つか資料を見せていただいた。

そのうちの1つに、秀英舎販売課名義で大正15年6月に発行された『七ポイント半假名附活字見本』がある。

巻末の「内訳」には、次のように記載されている。

漢字 一万三千五百四十字

数字 百十九字

仮名 百七十三字

太字仮名 百六十字

ゴヂック仮名 百七十二字

印物 二十一種

約物 五十六種

以前〈石井「『九ポイント假名附活字見本帳』に見るルビ付き活字」に寄す〉に記した通り、大日本印刷は同年刊の『七ポイント七五假名附活字見本帳』は所蔵しているが、この七ポ半仮名付は大日本印刷にも印刷図書館・印刷博物館にも無い資料である。石井氏が取り上げた昭和4年版の九ポ仮名付や大日本印刷所蔵の大正15年版七ポ七五仮名付同様、ひらがなルビ付活字とカタカナルビ付活字の両方が含まれている。

石井久美子「『九ポイント假名附活字見本帳』に見るルビ付き活字:外来語定着の一側面」に掲載されているカタカナルビ付活字の冒頭部分(【イ部】〜【ヘ部】)と比べると、下に掲げるこの七ポ半仮名付には例えば「把ハン」「河ハノ」「尼ニヤ」「新ニュー」「白ベー」「伯ベ」「黒ベ黒ペ」等が無い、というようなことが判る。

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大正15年の七ポ半活字なら主に新聞がターゲット、昭和4年の九ポなら雑誌や単行本がターゲットと考えられるので、そうした媒体での用例が、これらの語彙(を表記するためのカタカナルビ)の有無の違いになっているのか、大正15年と昭和4年という刊行年の違いが語彙の多寡に結びついているのか。

石井氏が着目された通り、やはり「仮名付」活字見本帳は、国語文字・表記史の観点から、興味深い資料と言える。

残念ながら、あの日見た秀英舎『七ポイント半假名附活字見本』に「河ハノ」「尼ニヤ」等が収録されていない理由を僕(達)はまだ知らない。

2018-01-31 横浜開港資料館平成30年度第1回企画展「金属活字と明治の横浜」 このエントリーを含むブックマーク

来る2018年4月27日(金)から7月16日(月)、横浜開港資料館で「金属活字と明治の横浜 〜小宮山博史コレクションを中心に〜」という展覧会が開催されます。

本日(1月31日付)資料館サイトの「What's New !」のコーナーに、「これからの予定」として情報が公開になりました。

活版印刷で用いられる日本語の金属活字は、ヨーロッパで作られ、キリスト教のアジア伝道の中心であった中国を経て、長崎に伝えられました。活字活版印刷術の導入は、日本の近代化に大きな役割を果たしましたが、本展示では、金属活字の誕生から日本への伝播、そして横浜における普及の歴史を、活字史研究家、小宮山博史氏のコレクションを中心にたどります。

近代日本語活字の歴史――とりわけ「メインストリーム」系――を考えるうえでとても貴重である膨大な活字資料を集めてこられた小宮山博史氏のコレクションが、『真性活字中毒者読本』(asin:4760121463)での予告通り開港資料館へ一括で移管されることとなり、その記念に開催されるものです。


この企画展の関連事業として次の通り公開講座の開催が予定されています。

第1回 5月26日(土)
内田明(近代日本語活字史研究者)「活字活字見本帳が語るもの」
第2回 6月9日(土)
宮坂弥代生(明治学院大学非常勤講師)「印刷史のなかの美華書館―日本とのかかわり」
第3回 6月23日(土)
小宮山博史(活字書体史研究家)「日本活版印刷史の夜明け−上海のヘボンと吟香」

【会場】横浜開港資料館 講堂

【時間】各回とも14:00〜16:00

【受講料】500円/回

【募集人数】80名(応募多数の場合は抽選)

【申込み方法】往復はがきに、郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・参加希望講座回(複数記載可)を記入の上、下記の住所に送付:

〒231-0021

横浜市中区日本大通3 横浜開港資料館 活字展講座係

(文面が消えてしまう恐れがありますので、消せるボールペンでの記載はご遠慮ください)

【締切】5月15日(火)必着


横浜開港資料館の通常の開館時間は9:30〜17:00ですが、5月26日(土)、6月2日(土)、6月29日(金)、7月14日(土)は展示室のみ19:00まで開館です。第1回講座をお申込みいただくと、講座の前後で展示の見方が変わる、そんな体験をしていただけるかもしれません。

また、通常の入館料は一般200円・小中学生100円ですが、横浜セントラルタウンフェスティバル開催の5月26日(土)・27日(日)と、開港(開館)記念日の6月2日(土)は入館無料になります。

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2018-01-06 入稿原稿の「組方指定」または「組版指定」の歴史を眺める このエントリーを含むブックマーク

主に近代文学を中心に、「入稿原稿」に記された「組方指定」または「組版指定」の歴史を眺めてみるシリーズ。…というような感じの連続ツイートを、ツイッターの新機能「モーメント」で、幾つかまとめてみています。

ここ数年で、ウェブ資源として閲覧可能な「入稿原稿」が、こんなにも大量に出現していたとは驚きです。

現時点で「組方指定」と呼んでいるのは、藤森善貢『出版編集技術』シリーズの呼び方に倣っているものなのですが、Googleブックスでの検索結果は、文学研究の用語としては「組版指定」の方がポピュラーであるような感触が示されています。そうした用語の違いも含めて、概念や指定の書き方の歴史そのものを観察してみたいと思っています。

観察は、まだまだ始まったばかり。


以下2点ほど1/7追記:


入稿原稿に直接関係する話題ではないのですが、全く無関係な訳ではないものも、付記しておきます。


はてなダイアリー内での関連記事:

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2018-01-01 2018年の抱負 このエントリーを含むブックマーク

「Happy Public Domain Day」へと日付が変わったタイミングで、Oradano明朝GSRRフォント〈戊戌アップデート〉を実施しました。今回のアップデートで青空文庫使用上位3000字に達し、これを区切りとして暫く休眠します。


1月27日に阿佐ヶ谷美術専門学校で、連続セミナー「タイポグラフィの世界」最終シリーズ(全4回)の3回目として、「日本語活字を読み込む」という話をさせていただきます。宣伝動画を作ってツイッターで告知してみているのですが、少なくとも自分のPC環境ではこの「はてなダイアリー」内で動画の画面をクリックしても再生されず、下記ツイート内の日付文字列または鳥マークでリンクされているツイッターのサイト内に移動することではじめて再生可能になる模様。ご笑覧ください。


色々落ち着いたら、以前着手してすぐに放置することとなってしまっている「府川充男撰輯『聚珍録』(三省堂、2005)愛読者Wiki(暫定版)」を再開しようと思います。

2017-11-03 図録『澁澤龍彦ドラコニアの地平』私註草稿 このエントリーを含むブックマーク

ある文学作品が作者に胚胎し、活字印刷テキストとして我々の眼前に公刊されるまでの間に、どのような経過を辿るのか。

ごく大雑把に一般化して言うと、まず全体的な構想やカギとなる言葉などを記した「アイディアメモ」や「創作ノート」の類が書かれ、次に推敲を重ねながら原稿が書かれ、最終的に(編集者を経て)印刷所へ入稿された原稿を基に活字が組まれて印刷される、そのようなプロセスになるだろう。これは所謂文学作品に限らず、大枠では、活字印刷テキストとして公刊される文章一般に共通する内容と言ってよいかもしれない。

2017年10月7日から12月17日の会期で世田谷文学館で開催されている「澁澤龍彦ドラコニアの地平」展には、澁澤ゆかりのオブジェの他、アナログ的に作品を綴っていた澁澤が残した前記各段階に対応する資料が展示・解説されている。特に力が入っていた『高丘親王航海記』の場合、創作メモ→草稿→(浄書した)入稿原稿→雑誌掲載→(掲載誌を台紙に貼って更に推敲を重ねた)手入れ原稿→単行本といったテキスト生成過程が、よく解る仕掛けになっている。

同展の図録は、2017年10月13日初版第1刷発行の書籍として一般書店で販売もされている。澁澤のテキストをより深く理解しようとする上で、実に貴重な資料が示されていると思う。

澁澤龍? ドラコニアの地平

澁澤龍? ドラコニアの地平


筆者は10月15日に「澁澤龍彦ドラコニアの地平」展を観覧し、会場の展示キャプションに見られる「草稿」と「原稿」の区別に疑問を感じて次のようなツイートをした。

澁澤龍彦展で『「イスパハンの昼と夜」草稿』とされていた原稿だけれど、「潮 月号 印」のスタンプが押されていることや、9ptゴシックという活字指定がアカで入っていることなどから、これは草稿ではなく(印刷)原稿で間違いないだろう。@setabun 関係者さん、ぜひご確認下さい。

https://twitter.com/uakira2/status/919406700142006272

当日購求しなかった図録を10月30日に落掌したので、図録182頁に掲載されている『「イスパハンの昼と夜」草稿』をここに示しておく(図録のキャプションも「草稿」になっている)。

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古書業界(古物商業界)と近代文学研究業界では「草稿」や「原稿」といった言葉の使い方が異なっている場合があり注意が必要だというが、ここでは近代文学研究の流儀に沿って考える。

先にツイートした通り、『「イスパハンの昼と夜」草稿』の原稿用紙には、「割付」と呼ばれる、活字の種類と大きさ(「9G」すなわち9ポイントのゴシック体)、行取りの指示(「4L」すなわち4行取り)など、編集者が朱書きした組版・印刷の指示があり、また「潮 月号 印」という媒体スタンプが押されている。

こうした痕跡が存在することから、モノとしてこれは「草稿」ではなく「入稿原稿」であると考えて間違いないだろう(ツイート時点では、印刷所に回される段階の、その時点での決定稿である原稿として「(印刷)原稿」と呼んでいたが、これは「入稿原稿」と呼ぶべきであると考えを改めた)。


澁澤龍彦ドラコニアの地平」展で、近代文学研究の流儀でいう「草稿」と同じ意味合いで「草稿」とキャプションがつけられているものもある。例えば図録077頁に掲載されている『「南方学の秘密」草稿』が、それだ。

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コクヨの400字詰原稿用紙に、まず鉛筆で最初のテキストが書かれ、次にブルーブラックインク万年筆で推敲される。そしておそらく文章の骨格・血肉が整う最終に近い段階で、赤インクで段落区切りが定められる。

津原泰水氏が、シス書店で開かれていた「澁澤龍彦没後30年」展に出品されていた(四谷シモンに言及する)原稿用紙の低解像度画像と共に「原稿用紙は、このようにして使う。文章が仕上がっていくプロセスを残しておく物なのだ」とツイートなさっていたが、推敲の跡を辿れるようにしてある紙面は、まず第一に、作者自身が作品を捕まえるために書かれるものと言えるだろう。

先述のように入稿原稿であることを示す朱書きが入っている原稿用紙においては、基本的にこうした推敲の跡は見られず、草稿から書き起こされた浄書原稿となっている。草稿に改行位置を示す記号が朱書きされているのは、第三者が入稿原稿の浄書を行うことがあり得る前提で明示していたものかもしれない。



図録でも展示キャプションでも、近代文学研究の流儀でいう「入稿原稿」と同じ意味合いで「原稿」とキャプションがつけられている例が、図録136頁に掲載されている『「火山に死す」原稿』である。

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タイトル「火山に死す」には「24ポイント明朝体」を意味する「24°M」と朱書きがあり、署名には「18ポイント明朝体」を意味する「18°M」と、「澁澤龍彦」の四文字を七文字分のスペースに割り付ける「七バイ(七倍)」の指示、更に「正字使用」の注記が付されている。

こうした「割付」に基づいて組みあがった初出誌面は次のようになっている。

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連載であることから連載タイトル「唐草物語」が縦長の宋朝体で組まれ、更に本文と同じ明朝活字で「その三」と回数が示されているが、これらは入稿原稿上には注記されていないように見える。また、挿絵の有無や、タイトル廻りの行取り、天地のアキなど、やはりこの『文藝』昭和54年4月18巻3号148頁を組み上げるには、追加の情報が必要になるのだが、そのあたりは定型フォーマットとして注記不要と考えられたのだろうか。

これが、例えば〈マンディアルグ『大理石』「あとがき」原稿〉のように単行本の入稿原稿になると、割付の朱書きは、図録113頁に掲載されている次の図のように、細かな点まで記される。

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ひょっとすると、図録でも展示でも「原稿」ではなく「草稿」とされているのは、掲載誌である『潮』1972年1月号での初出タイトルが「占星術古都 イスパハン」でありこの原稿用紙に記された「イスパハンの昼と夜」とは異なっているから決定稿ではない、という理由であるのかもしれない。

澁澤の手を離れて編集部から更に印刷所へと回されていると考えられるこの入稿原稿上のタイトル表記と掲載誌上の表記が異なっている理由は、一般的な作業の流れで考えれば、ゲラ(校正刷り)の段階で澁澤(または編集者)の手が入って書き換えられたからだと推定される。

決定稿とは呼べないかもしれないが、近代文学研究の流儀でいう「入稿原稿」と呼んで差し支えない。


さて、以上のような観点で――つまり近代文学研究の流儀に沿って――「澁澤龍彦ドラコニアの地平」展の図録を眺めていくと、「草稿」か「原稿」かの記載が資料内容と合致しないケースが見受けられる。

例えば、図録110頁に掲載の、『「発禁よ、こんにちは――サドと私」草稿』。掲載誌を示す「新潮 月号」のスタンプが押され「7」の朱書きがあり(このテキストは『新潮』1960年7月号が初出)、またタイトルに「18P」(18ポイント活字)、サブタイトルに「9P」(9ポイント活字)、著者名に「3」(三号活字)を用いるよう割付指示が書かれていることが、入稿原稿であることを示している。

世田谷文学館内の展示キャプションでは「原稿」となっている『夢の宇宙誌』の資料が図録100-102頁で「草稿」とされていたりするのは、展示設営に大きく先立つと考えられる図録の製作段階では「草稿」および「原稿」の区別をどのようにつけるのかという点に関する視点が、図録編集時点では共通の認識として確立していなかったことを示すのだろう。

近代文学研究の観点でテキストの生成過程を跡付ける意味でも「草稿」か「原稿」かの区別は重要であるけれども、印刷技術史あるいは印刷美術史の資料という側面から考えた場合、残された原稿用紙資料が、組版者(印刷者)に向けた「割付」指示の朱書きが付された「原稿」(入稿原稿)であるのか、それとも割付指示が書かれておらず、代わりに作者による推敲の跡が数多く残されている「草稿」であるのかの区別は、更に決定的に重要である。

ここから、筆者の私見により、図録掲載資料について「草稿」か「原稿」かの区別を付け直してみたい。


掲載頁図録キャプション筆者私註
050-051「高丘親王航海記」草稿
052-053「高丘親王航海記」決定稿のための加筆・修正(決定稿のための加筆・修正を行った)単行本入稿原稿
058「シュルレアリスムと屍体解剖」草稿
065「観念の動物園『唐版犬狼都市』のために」草稿
066「土方巽について」草稿
068「悪魔のエロトロギア――西欧美術史の背景」原稿
074プリニウス「スキヤポデス プリニウス『博物誌』第7巻第2章」翻訳草稿
074プリニウス「アリマスポイ人 プリニウス『博物誌』第7巻第2章」翻訳草稿
075「迷宮と日時計」草稿
077「南方学の秘密」草稿
080「宝石伝承」のための草稿
087「鳥のいろいろ」草稿
089「時計草――ミニアチュール的想像力」草稿
091「石の中の生きもののこと」草稿
100「夢の宇宙誌」草稿入稿原稿
109サド「ソドム百二十日」第1部(抄)草稿
110「発禁よ、こんにちは――サドと私」草稿入稿原稿
112アレ「腹の皮のよじれる話」(抄)草稿
113「大理石」原稿
114「幻想動物学 ア・バオ・ア・ク」草稿
116「幾何学とエロス」草稿
116「宇宙卵について」草稿
119「十八世紀 毒の御三家――スウィフト サド ゴヤ」草稿
120「城と牢獄」草稿
122「クラナッハの裸体」草稿
122「みずからの純潔性に関印された若い処女 サルバドール・ダリ」草稿
122「ルドンの黒」草稿
123「桃鳩図について」草稿
123「マニエリスト抱一――空前の植物画家」草稿
123「河鍋暁斎――百鬼夜行図」草稿
134「ランプの廻転」草稿
136「火山に死す」原稿
138「夢ちがえ」創作メモ
138「夢ちがえ」草稿
139「きらら姫」創作メモ
139「きらら姫」草稿
140「髑髏盃」創作メモ
140「髑髏盃」草稿
142「うつろ舟」創作メモ
142「うつろ舟」草稿
143ダイダロス」創作メモ
143ダイダロス」草稿
148『ねむり姫』装幀のための自筆の指定書き
170「星の王さま、タルホ」草稿
170石川淳坂口安吾 あるいは道化の宿命について」草稿
181ヘラクレスの睾丸」草稿
182「イスパハンの昼と夜」草稿入稿原稿
183「ペトラとフローラ 南イタリア紀行」草稿
184日本列島南から北へ」草稿
185「ラコスト訪問記」草稿
186「さざえ堂――二重螺旋のモニュメント」草稿
187「塔と庭のある町――大内文化をたずねて」草稿
188「パドヴァの石屋」草稿
190「東勝寺橋」草稿
190「鳥の声 虫の声 初音がつづる鎌倉の四季」草稿
190「明日谷」草稿
190鎌倉今昔」草稿
194「絵本について」草稿
195「美術館」草稿
199「儒良」草稿
200「高丘親王航海記」創作メモ
201-202「儒良」創作メモ
203-205「蘭房」創作メモ
205-206「獏園」創作メモ
207-208「蜜人」創作メモ
209-211「鏡湖」創作メモ
213-214「真珠」創作メモ
215-218「頻伽」創作メモ
220「高丘親王航海記」草稿
221最終章「頻伽」草稿
227「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」草稿
230「撲滅の賦」草稿


自筆資料がオブジェの一種として扱われ図録中にグラフィック素材として配置されている点も残念ではあるのだけれども、それにしてもこれほど濃密に澁澤テキストの生成過程を垣間見ることができる資料は、他に類を見ない。それだけに、(私見では)上記4点の不徹底とは言え、近代文学研究の視点を維持できなかったものかと残念でならない。

参考:

関連: