蛇信仰と牛信仰

 宗教の始まりは、性と豊穣の呪術である。世界各地から旧石器における、乳房や腰や性器が強調された女性像、および男根像が出土されている。これは「産むこと(多産)」「食べること」、つまり「生きること」への意志と願望が込められた呪術であった。新石器時代においても女性像は地母神として農作物の豊穣と結びつけられており、男根像もそうであった。またそれらの像は、蛇が絡んでいるものや蛇を暗示する渦巻き模様などが彩色されているものが多数あり、古代の人々は性器信仰と蛇を結びつけているのである。それは蛇の持つ再生や不死性を、作物の豊穣と関係づけているという理由や、蛇の造形が男根に似ている、とぐろを巻いた姿は女性性器に似ているという類似性があげられる。また蛇への恐怖心が畏敬に変わったという説もある。信仰が高揚したのは農耕が始まる新石器時代になってからだが、農耕には水が不可欠であり、大河は大蛇の姿に類似し、蛇は雨をもたらすと信じられていた。農耕文化の拡大とともに蛇の呪術は全世界的な広がりを見せたのである。

 蛇信仰は、一説によれば古くエジプトにおこって世界各地に伝播し、インド・極東・太平洋諸島を経てアメリカに達したということである。エジプトではコブラ(毒蛇)の信仰がさかんで、コブラは「火」「太陽」のシンボルであり、その造形は太陽神・王たちの冠および額の装飾となった。インドは多数の蛇の棲息地であり、その信仰も多岐にわたるが、なかでも顕著なものはコブラの神霊化「ナーガ」の信仰である。この信仰はヒンズー教・仏教にも影響しており、ナーガは仏教の守護神でもある。日本にもこのナーガ信仰はきわめて早い時期に入ってきたと推測される。ナーガはナーギーと夫婦神であって人面蛇身の姿をしており、それが日本の夫婦神イザナギイザナミのルーツをいわれている。中国の祖先神は伏犠(ふっき)と女媧(じょか)という人面蛇身の夫婦神であり、日本に大きな影響を与えた道教の祖である。その後、蛇から龍という空想の神へと変身し、雨をもたらすものとしての「龍」は皇帝の権力をあらわし守護神となった。また伏犠は八卦の祖といわれており、易学(陰陽五行)や風水につながっている。台湾では原住民の高砂族に蛇信仰が顕著で、毒蛇の百歩蛇(ひゃっぽだ)が信仰の対象となっている。

 世界各民族の蛇信仰の様相は、複雑ではあるが共通するところも多く、次のように要約できる。?人間の祖先神 ?蛇と太陽・火との同一視 ?聖地・聖所・土地・屋敷の主(死霊との関連において) ?雨神・豊穣神・穀物神?脱皮・変身・新生・永生・浄化・転生 ?巨大蛇実在の信仰 ?悪霊・妖怪・湖沼の主 ?信仰の対象として飼育される蛇 ?蛇骨の信仰等である。 

 ところで人類最古の都市文明を建設したシュメール人によって、蛇信仰に対立する新しい宗教がメソポタミアに発生した。このシュメール人は南メソポタミアに最初に定住した民族ではない。もともとは前5000年ごろから農耕民が住んでおり、その出土物から彼らは大地母神や蛇信仰をもっていた。そこに前4000年後半にシュメール人が侵入したのである。シュメール人がどこから来たかはわかっていないが、土を耕すための牛犂と運搬のための牛車を開発し、牛車を戦車としても使用した民族である。また王を天から降った牡牛にたとえる神話をもっており、メソポタミアに定住する以前は牧畜にたずさわり、天や牛を崇拝する民族であったと推察される。

 そのことによって蛇と女性という豊穣のシンボルは、天の男神(牡牛)と天の女神とに置き換えられるとともに、蛇は天の神の敵役となった。しかし旧石器時代にさかのぼる大地母神と呼ばれる女神たちは、そのまま信仰され続け、権力に取り込まれることによって、系譜的にも天の神々と結びつけられたのである。メソポタミアの神話では、牡牛である天の神が登場するが、主神マルドゥクも牡牛とみられていた。イスラエルの神ヤーウェもそうであり、イスラエル人がヤーウェのために犠牲として供えるのも牡牛であった。さらに天の代表する天体は太陽であり、牡牛は太陽、牝牛は月のシンボルと考えられ、天と地・太陽と月、これらの世界の基本的な秩序は牡牛と牝牛によって理解されていたのである。

 では牛が神となった理由は何であろうか。牛が農業の増産に多大や寄与をしたこともあるが、決定的な理由は牛車にあった。これは運搬用としてだけではなく戦車としても使用され、王権のシンボルとなったのである。つまりメソポタミアは農業で繁栄した都市社会を、軍事力にたけた牧畜民が征服者として支配する歴史であった。

 ところで農耕民(蛇信仰)と牧畜民(牛信仰)の対立は旧約聖書の創世記に登場する。それは有名な失楽園物語である。エデンの園において「取って食べてはならぬ」と神によって命令された禁断の実を、エバは蛇にそそのかされて食べてしまう。蛇はこの実を食べれば神のように目が開けると教え、エバを誘惑して禁断の実を食べさせたのである。そしてその実をアダムにも食べさせた。それが原罪となって、人間始祖となるアダムとエバは堕落し、エデンの園を追放されたのである。その後エバは身ごもりカインとアベルを産む。神は成長したカイン・アベルに供え物をするように命じ、ここでカインは野菜、アベルは羊の初子を捧げた。神はアベルの供え物を取り、カインの供え物はかえりみなかったので、カインは憤りアベルを殺害してしまう。これが人類最初に起こった事件だと聖書は伝えている。このように農耕民と牧畜民の対立はカインとアベルの物語のテーマであり、主ヤーウェは農民カインの捧げた野菜ではなく、牧人アベルの捧げた動物の犠牲を喜ぶのである。

 ユダヤキリスト教において、蛇はサタン(悪魔)とよばれる霊的存在である。エバを誘惑して罪を犯させたからだ。ではどんな罪だったのだろうか。禁断の実とは「性」のことであり、取って食べるなとは、成長し完成するまで性関係を結んではならぬという戒めである。本来アダムとエバは成長期間を経て完成し、結婚して子孫(神の血統)をつくるという創造原理があった。にもかかわらず蛇はエバを誘惑して不倫な性関係を結び、血統的存在を残した。それがカインである。次にエバは本来の相手がアダムだと気づき、アダムを誘惑して性関係を結んだ。この血統がアベルである。人間よりはるかに劣る万物を神(親)とするカインもアベルも罪の血統であるが、蛇を神とするカインより牛を神とするアベルの方が、より創造原理に近いということになる。血統は遺伝するので、全人類は堕落人間となってしまったのであり、常にこの二つの血統が争う世界となってしまった。カインがアベルを殺害したことにより、世界を支配したのは性と豊穣の神、蛇神ということになったのである。蛇というのは霊的な存在であるが、本来神の使いであった天使長ルーシェルを指している。

 カインがアベルを殺害した後、神はアベルの代わりにセツを立てたが、相当の時を待たずしては神側の血統を立てることができなかった。セツの血統から洪水伝説と箱舟で有名なノアが立ち、洪水によって人類は滅び、ノアは第二の始祖となったのである。イスラエルの祖アブラハムはノアの息子セムの子孫であり、このセム系民族が牛信仰の担い手となった。偽りの主となった蛇神を倒し、再び神主権の世界を打ち立てるために、長い闘争歴史を通して摂理してきたというのが、聖書のテーマである。そしてアベル(神側)がカイン(サタン側)に勝利した時、神はメシア(救世主)を地上に送られる。ちなみにエバは二重に堕落しているので、大地母神として蛇神にも牛神にも対応する立場にたっていた。

 ところでユーラシア大陸の南で、牛が農耕や軍事に活躍して人々に崇拝される一方で、ユーラシア大陸の北にある草原地帯では、インド・ヨーロッパ語族が馬の家畜化に成功していた。牛の代わりに馬を使った軽戦車が登場し、これがその後、人類の歴史を大きく左右する動物になり、国家成立、勢力拡大に不可欠な軍事力になった。このような馬車と騎馬の普及とともに天は牛から馬へとかわり、騎馬民族を形成して、「天と地」という思想は全ユーラシア大陸へ伝播されることになったのである。