平成の百塔参り


備中国分寺五重塔

 永和3年(1083年)4月17日、富士山が大噴火した。富士山噴火による鳴響が京都でも聞こえたという。この年10月、白河天皇が京都白河の地に建設を進めていた法勝寺に八角九重塔が完成した。八角九重塔の初重には裳階(もこし)がつけられ、概観は、十層の塔にもみえた。その高さは81メートル、現存する東寺(教王護国寺五重塔よりも28メートルも高い。法勝寺金堂の南にある池の中島に聳え立ち、水面にその壮大な姿を映した。
 法勝寺八角九重塔の建立された平安時代後期は、末法思想のさなか、多くの阿弥陀堂が建立される一方で、塔に対する信仰も盛んで多くの塔が建立された。
 法勝寺の建っていた白河だけでも、法勝寺の八角九重塔、尊勝寺の東西の五重塔、円勝寺の中央の五重塔と東西の三重塔、最勝寺の二基の塔、蓮華蔵院の三基の塔など二十基の塔が林立していた。逢坂山を越えて、京に入る人々は、まず白河の塔が林立する光景を見た。「塔の町 京都」だった。
 この当時、京都とその周辺の塔を巡礼する百塔参りが行われていた。
 百塔参りの塔のうちには、もちろん多宝塔や石塔もあったかもしれない。しかし、当時の塔建立の記録から考えて、その多くは、三重以上の木造塔が多くを占めていたことは間違いない。
 しかし、今となって、百塔参りが行われていた京都に塔を求めても、その面影もない。国王の氏寺と呼ばれ、護国の象徴であった法勝寺が炎上したのは南北朝の内乱のなか、その他の多くの塔も戦乱あるいは落雷で失われた。現在、京都とその周辺に残る塔は、法観寺五重塔を最古のものとして、清水寺三重塔、金戒光明寺三重塔、教王護国寺五重塔仁和寺五重塔、清水子安塔、真正極楽寺三重塔の七基だけで、いずれも室町時代以降に建立されたもの。
 ただ全国に範囲を広げれば、7世紀末に建てられた法隆寺五重塔から平成15年に宮大工によって建てられた仙台市の考勝寺五重塔まで、木造多層の塔は、五重塔41基、三重塔84基、合わせて125基を数える。そのうち、国宝に指定されているもの24基、国重要文化財58基、合わせて82基である。 
 元号の「平成」にふさわしく、平らかに成ることを願って、幾星霜もの風雪に耐えてきた五重塔や三重塔、また新たに様々な願いを託して建てられた五重塔や三重塔、これらをたずねて、「平成の百塔参り」に、皆さん一緒に出かけませんか。