年始の記録



あけましておめでとうございます。
よい一年になりますように。


晦日のお昼すぎの新幹線で帰省。母が柿安本店で買ってきたという肉につき、どうしよう?というので同居人がすき煮にしてくれた。美味しかった。
元日の朝は皆でおせち。お餅が嫌いな私は替わりに帰省土産の木村屋のあまおうのあんぱん。リクエストされたので大晦日に銀座本店に寄ったらお休みで、向かいの三越の地下で数種類買い求めたものの一つ。美味しかった。


父が「初めてのスマホ」を持ちたいというので同居人と三人でショップに出向き、手続きし、帰って設定し、量販店に出向いてアクセサリーを買い…とやっているうちに夕方に。名駅に着いた頃には「ぴよりん」も売り切れていたので、見てはいたけれど買ったことのない「ぴよりんショコラ」を購入。なかなか可愛い。
新幹線に乗る前に、ホームにて住よしのきしめん。同居人は普通の、私は名古屋コーチンの。とても美味しかった。


映画始めはTOHOシネマズスカラ座にて「カンフー・ヨガ」。
TLに流れてくる感想の数々にどんな映画だよと思っていたけれど、まっとうないい映画だった。お茶を淹れるのが女ばかりなのは気になったけどね(最後の「スタッフ一同」を見て、まだまだやっぱり女は少数派なんだなと思う)


一番心に残る…残るように作られているのは、ジャッキーと仲間が敵であろうと命を大事にする、助けるというところ。カーチェイスの最中のあの大回転、とてもよかった(笑)
更に心に残るのは、「悪役」の、「インドで生まれた仏教について中国人のお前が何を言う」「インドの法律について中国人のお前が何を言う」という態度。自分の手柄でもないのに自分の国は偉いと聞く耳持たない、現在毎日のように目にする嫌な傾向だ。でも、最後に「インドから伝わった」技と中国の技のミックスでこてんぱんにやられて、更にあれこれあって、「改心」する…と私は解釈したから、いきなり皆で踊り出すあのエンディング、全然変だと思わない。むしろ「自然」でしょう(笑)

鈴本演芸場正月初席第三部



三増紋之助(曲独楽)
柳亭こみち「民謡大家」
柳家さん生(百面相)
おしどり(音曲漫才)
宝井琴調赤穂義士銘々伝(一部)」
ホンキートンク(漫才)
春風亭一朝初天神
五街道雲助「子ほめ」
桃月庵白酒「ざる屋」
柳家小菊(粋曲)
柳家権太楼「ジャンバラヤ
 (中入)
太神楽社中(壽獅子)
柳家小三治(漫談)
江戸家小猫(ものまね)
柳家喬太郎「茶代」
林家正楽紙切り
柳家三三湯屋番」
 (1/2・鈴本演芸場


平成三十年、三日じゃないけど第三部、トリが三三、はねて上野駅の改札を通ったらスイカの残金が333円だった(笑)
鈴本は寄席の中では最も「本寸法」なのにも関わらず(隅から隅までお飾りだってあるにも関わらず)、正月気分をあまり感じない。しかし楽しかった。小三治のネタを作中で拾って「これでいいでしょう」と言う三三など、トリのレベルの人が揃う初席ならではだ。


権太楼の「ジャンバラヤ」を久々に聞いて思ったことに、この噺の、レストラン、二人きり、バンド、ジャンバラヤ、リクエスト、の流れって、権太楼の「くしゃみ講釈」の一番「いい」ところ、胡椒を買うんだよ、今行くんだよ、おめえが行くんだよ、の畳み掛けに似ている。得意の調子で演る、見事な「ネタ」なんである。

新作落語お正月寄席



開口一番(三遊亭ぐんま「勝利の老婆」)
三遊亭たん丈(なまはげの小噺)
古今亭駒次「アンニョン サンヒョク」
古今亭今輔シュレディンガーの猫
夢月亭清麿「時の過ぎゆくままに」
 (中入)
三遊亭円丈「悲しみの大須
桃月庵白酒「寄席よりの使者」
林家彦いち「舞番号」
 (1/3・プーク人形劇場)


恒例のお正月寄席。三夜連続で家を空けるのがためらわれる中、白鳥・円丈が揃わなくなった昨年から泣く泣く円丈の方を取っている。この日は白鳥さんの弟子のぐんまさんの、高座に上る際に着物の裾を扇子でしまう仕草で始まったのが、なんだかプークらしくないなあと可笑しかったところ、大師匠の円丈もやはり、そりゃあ皆がすることだけども、それをしたのだった。よろけるので心配もしたけれど、楽しかった。
ぐんまさんが枕でいわく「古典をやりたいと入門したのに、こんな(プークの高座に上る)日が来るとは」(笑)本編は先月聞いたばかりだから、変化が如実に分かり面白かった。たん丈については、喋り方や仕草が円丈に似ていることに改めて気付く。かつ「小噺に毛が生えた」、その毛の部分に「実感」がこもっているのも一門らしい。
真打昇進の報告に始まった駒次さんは安定の面白さ、枕にエゴサーチネタを喋った今輔の本編も何というか、ネット的な哲学ネタ。清麿に至り、この日で初めて、噺に入る際の自己突っ込みがなかった(笑)後で円丈が「清麿くんは早稲田を出てて頭がいいけど、僕は馬鹿だから」とぼやいてみせていたけれど、ああした滑らかさには確かにある種のスマートさを感じる。


長めの中入後、幕が上がるとめくりに円丈とある。清麿が現れて説明するには、師匠はこの会が四軒目でだいぶお疲れ、「トリは無理だし演目も決まらない」と悩んでいるので元気づけてあげてくださいとのこと。言われるままに皆で「円丈さーん!」と呼ぶ(話がそれるけれど、この日も一度聞くことができたけれど、呼び掛ける時は当然「兄さん」なんだよね、私の知らない若い頃の二人が想像できて楽しい)
「こんなに落語を頑張ってきたのに、他の人より出来なくなるなんて納得できない」…その場に居ないと分からないだろうことに、これでファンは笑って場が和むわけだけど、これを聞いて、円丈が落語を演っている時代に間に合ってよかったとつくづく思った。他の言葉の数々は、書かずに大事にしまっておく。ネタについては、「悲しみの大須」、私は覚えちゃってるからね!「こんなところに出たら(円生)師匠に怒られちゃう」や足立席亭の晩年の言葉は昔はなかった。「今」の語りが嬉しい。
その後の二人、白酒&彦いちは師匠に「つけ」て演芸(人)ネタを重ねてくれた、結果奇しくも川柳劇場の様相に(笑)随分押しての終演。


開場前に、プーク人形劇場の入口脇にあるカフェ「プンクト」のテラス席にて、カフェラテと「パンプキンと豆腐のケーキ」。コーヒー美味しかった。
高座で清麿が「御乱心」文庫発売の話に触れた(内容は伏せておく)ので、帰宅してから引っ張り出してみた。誤字脱字以外は元のままらしいけど、座談会が収録されるそうなので買うつもり。写真は今日購入した手拭い(戌年だし!)と過去に古本屋で探して買った御乱心、手付かずのまま本棚で眠ってる師匠の本。

フラットライナーズ



1990年に公開された同名映画のリメイク。ニールス・アルデン・オプレヴって、「ミレニアム」一作目や「デッドマン・ダウン」の監督だと気付いたので見てみた。「デッドマン・ダウン」でのコリン・ファレル&同じ位の時を経てのリメイク繋がりで2011年の、これもよかった「フライトナイト」も想像しつつ。予告から想像していたのと全然違う話で、ちょっと古いなと思う部分もあったけれど、面白かった。


「flatline」とは心電図の線が平らになること。作中それに重なるのが、ディエゴ・ルナ演じるレイが命を救うために冒頭と終盤に走り抜ける、「生」と「死」を繋ぐ、夜には緑の光に照らされる、病院の渡り廊下である。


エレン・ペイジ演じるコートニーを始めとする医学生らの「仲間」感には、オリジナルの主役だったキーファー・サザーランドもそうだったブラッドパック華やかりし頃、いやもう少し後かな、それが落ち着いた頃の雰囲気がある。今ならこの類の「仲間」はもっと若い世代か、世代が入り混じっているものだ。でも医学生ならありかなと思う。あの年齢で人命を握ってるがゆえの「仲間」感。無神論者達が、神がありうる世界で体験する話という枠の中で、出来うる限り彼らの人となりが描かれていたと思う。そこがよかった。


キリスト教の素養がない私にとって、これは、ジェイミー(ジェームス・ノートン)いわくの「guilty conscious」につき、告白しても自死してもだめ、行動あるのみという話であった。(「臨死体験」を切っ掛けに)彼らがあのような体験をするのは、「被害者に憎まれているのではないか」という意識ゆえに思われた。相手からすれば、被害を受けた上にあんな形相で捉えられてるじゃたまったもんじゃない(笑)意識の中の存在と「実際のその人」とのギャップを埋めることの大切さを思った(尤も相手を亡くした人には叶わないが。だからあの二人は苦労する)


そうした意識を持たないレイが臨死体験をするとどうなるのかと想像してしまうが、彼だけはそれをしない。面白いのは仲間の中で彼だけが「富」を有していない(=「持たない」)点である。彼のみ自宅のシーンがないのも意味ありげだ。そんなところから、ふと彼をイエスとして見ると面白いなと考えた。皆の「告白」を一人立って聞く姿、「ぼくも同罪だ」なんてセリフ、それからまあ、あの長髪に髭ね(笑)


オリジナルは何せ作られたのが昔だから、ジュリア・ロバーツ演じる「才色兼備」の女が一人という「紅一点もの」だが、本作では複数居ることで女が「普通」に描かれており見易い(冒頭エレン・ペイジが話す相手が患者、同僚と続く時点でベクデル・テストは勿論パスする)。「セックスしよう!」「そうしよう!」となった時以外は、相手を性的に見ない(その気を表さない)のもまっとうでよかった。