アップル、“iPhone 5S”を12月から試験生産、来年1Qから量産との報道

http://www.computerworld.jp/topics/2618/205503

Commercial Timesは、「iPhone 5Sは2013年第1四半期に量産に入る見通しだ。また、Appleは、iPhone 5Sから1四半期遅れてiPadの新モデルもリリースするだろう。iPadの最新モデルのディスプレイ解像度は予想されていたよりも低かったからだ」と報じている。
この「iPadの最新モデル」はiPad miniを指し、「iPadの新モデル」は、Retinaディスプレイを搭載するiPad miniの新モデルを指すと見られる。
Computerworld米国版の「Apple Holic」ブログの著者であるジョニー・エバンズ(Jonny Evans)氏は、「Digitimesの記事では、iPhone 5Sが2013年第1四半期に量産に入るとの見通しが示されている。だが、iPhone 5では、最初に報じられた生産開始時期と実際の発売時期には7カ月の開きがあった。このことを踏まえると、次世代iPhoneの発売は2013年6月か7月になりそうだ」との見方を示している。

iPad miniは、その手頃な大きさや使いやすさから好評を博していますが、A5チップにとどまったCPU(iPad with RetinaDisplayはA6チップ)やRetinaDisplayを採用しなかったことから、スペックに今一つ感があります。そこを強化した新モデルは、アップルとしても次で狙っているでしょう。最新のiPad with RetinaDisplay(第4世代)が、第3世代の発売から半年余りという短期間を経て発売されたことを考えると、新iPad miniが、来年のかなり早い時期に出てきても何の不思議もなく、十分あり得ることだと思います。今、miniを買うと、来年の早い時期に、しまったと後悔する可能性はありますね(といったことは気にせず良い物はさくっと買ってしまいましょう)。
私の予想では、来年の第1乃至第2四半期あたりで、新iPad(miniも含め)が出て、第3乃至第4四半期あたりでiPhone5Sが出る、といった流れになるのではないかと考えています。今買って持っているiPhone5や新iPadは、じきに陳腐化しますから、思い切り使い倒しましょう。

2012年11月15日のツイート

NHKアナを釈放=痴漢容疑、処分保留―東京地検

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121116-00000157-jij-soci

同容疑者は容疑を否認しているが、逃亡の恐れがないことなどから、地検は任意で捜査を続ける。 

報道により、「検察庁で認めた」とするものと、上記のように「否認している」というものがありますね。
かつては、こういった電車内の痴漢事件でも、被疑者が否認していると、裁判所が、ほぼ自動的に勾留決定して、準抗告しても、被害者や関係者に働きかける恐れがあるから罪証隠滅の恐れがあるとか、定職があり家族がいても、一時的に身を隠して逃亡する恐れがあるとか、屁理屈をこねまわして棄却していたものでしたが、最近は、そういったひどい例は、根絶はされていないまでも減ってきてはいるようです。
検察庁に、身柄付きで事件送致され、勾留請求せず釈放する場合は、通常、「身柄引受書」を、被疑者の家族や勤務先の上司から提出してもらうものです。これは、検察、警察関係者の間では「がらうけ(「みがらひきうけしょ、を略して)」と呼ばれているもので、弁護人がついていれば、弁護人が作成して引き受ける人に署名押印してもらい検察庁に出しますし、検察庁や警察にある書式に記入して提出する場合もあります。本件でも、おそらく、誰かが身柄引受書を出しているでしょう。
このアナウンサー氏は、強制わいせつ容疑のようですが、親告罪(告訴がなければ起訴できない)なので、今後、示談して告訴を取り下げてもらい不起訴、といった方法もあります。もちろん、犯罪を実際に犯したかどうかも慎重に捜査は進められるはずで、現時点で有罪と決めつけるべきではないでしょう。
とは言え、人気アナウンサーにとって、強制わいせつ罪での逮捕、が持つ意味はかなり大きく、どういった処分になったとしても、今後、従来通りにテレビでその姿を見るのは難しそうです。破廉恥な容疑で逮捕されたりしない、やばい状況に自分を追い込まない、ということも、1つの処世術として必要である、ということを感じます。

早稲田大、学部生2割削減の方策は? 「留年者を減らす」に早大生「それは無理」

http://www.j-cast.com/2012/11/16154301.html?p=all

早大は、日本の一流と称される大学の中では群を抜く学生数と留年者数で有名だ。かつては校内で「中退一流・留年二流・卒業三流」という格言が公然とささやかれていた。最近でも、2010年のデータを見ると、約1割が留年をしているらしい。

私は、昭和58年に早稲田大学法学部に入学し、昭和61年に司法試験に合格して、昭和62年に同学部を卒業しましたが、当時の法学部は、ごく一部の講義、ゼミを除き、司法試験を目指す上ではレベルが低かったりいい加減な内容の講義等が多く、学部のおかげで司法試験に合格できた、という感覚は全然ないですね。法律の勉強は、「独学」を基本に、予備校や自主ゼミなど、利用できるものは徹底的に、貪欲に利用しまくる、ということを入学後間もなくから、徹底的に行なって、大学4年生の10月末には司法試験に合格していて、そういう経験があるので、上記のような記事を読んでも、大学なんかに期待はできないのではないか、という気が強くします。こういう学生生活を送った人間なので、たいしたサービスも提供してもらわないのに安くもない学費を徴収され、その上、なぜ卒業後に寄付までしなければならないのか、こちらが金を返してもらいたいくらいだ、といった気分があります(こういう早稲田大学OBは他にもいそうですが)。この辺が、慶応義塾大学の卒業生とはかなり違うところでしょう。
今の時代、少子化でもあり、少人数教育できめ細かく、先生があれこれと面倒を見てくれて至れり尽せり、という流れになるのは仕方がないのかもしれませんが、それは、私にとっての早稲田大学ではない、早稲田大学といえば、山のような人の群れの中に田舎者が放り込まれ、放置されつつ、もがき、苦しみ、どん底から歯を食いしばってはいあがって行く、そのためには留年しようが何をしようがとやかく言われる筋合いはない、そういう学びの場だ、ということを強烈に感じます。