COMWARE PLUS の「デジタル人材のためのブックレビュー」でブルース・シュナイアー『ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか』を公開。
実を言うと、このブックレビューの話をいただいたとき、最初に浮かんだのはこの本だったりする。しかし、新野淳一氏が『情報セキュリティの敗北史』について書くのが分かっていたため、セキュリティ関係の本が続くのはどうかと2回目にシフトさせてもらった。
さて、次に取り上げる本は……実はまったく決まっていない。
当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。
COMWARE PLUS の「デジタル人材のためのブックレビュー」でブルース・シュナイアー『ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか』を公開。
実を言うと、このブックレビューの話をいただいたとき、最初に浮かんだのはこの本だったりする。しかし、新野淳一氏が『情報セキュリティの敗北史』について書くのが分かっていたため、セキュリティ関係の本が続くのはどうかと2回目にシフトさせてもらった。
さて、次に取り上げる本は……実はまったく決まっていない。
先月開催された今年の Python Language Summit のライトニングトークに、Python の生みの親であるグイド・ヴァンロッサムが登場し、「悪いほうが良い(Worse is better)」原則は今でも通用するのか、と問いかけている。
プログラミング言語の Python の開発初期、主要プラットフォームだった UNIX の「悪いほうが良い」哲学には大きな影響を受け、長年この考え方がとても有用だったとグイド・ヴァンロッサムは認める。
この考え方のおかげで3か月で何かを動作させることができたと彼は言うが、その後、年月を経て、自分が手抜きしたすべてが最終的には修正されたとも認める。「当時はテストすらなかった」と言って、彼は笑いを取る。
「あの当時、『悪い方が良い』は、言語を受け入れてもらう鍵でした。ユーザからのフィードバックや、私を称賛してくれる人たちからもらうエンドルフィンなしに、言語設計に3年取り組む余裕はありませんでした」
Python の初期リリースは、開発を始めて一年未満で実現したが、クラスを除いて問題は何ら修正されなかった。もっともそのクラスもインターンによって追加されたのだが。
「Python が完璧でなかったことが、多くの人々が貢献を始めるきっかけになったのです。コードはどれもシンプルで、最適化は何ら考慮されていませんでした」「これら初期の貢献者は、言語で利益を享受したのです。Python は彼らの子供のような存在でした」
その上で、『悪い方が良い』という考え方に今でも役目はあるのだろうかと彼は問いかける。今では Python には巨大なコミュニティがあり、開発体制も初期とはまったく異なる。
グイド・ヴァンロッサムは、機能の完成度に目をつむってコミュニティに試してもらうものを提供できた昔を懐かしんでいるようだが、昔に戻すこともできないのは承知している。
彼は最後に、Python で Rust を利用するためのバインディングを提供する PyO3 についての講演を引き合いに出し、これの開発には『悪い方が良い』原則が見られると評価している。PyO3 の開発は CPython よりずっと楽しそうだと言い、「とは言え、私は個人的に Rust を学ぶつもりはない……けど、後で試してみるべきかもな」と言って会場を笑わせたそうな。
アメリカのシンクタンクであるランド研究所(RAND Corporation)の Jeff Alstott、Joel B. Predd、Casey Dugan の3人の研究員が、ハーバード大学の Berkman Klein Center 主催で人工汎用知能(Artificial General Intelligence、AGI)が直面する5つの重大な国家安全保障上の課題をテーマに講演を行っている。
5つの重大な国家安全保障上の課題とは何か。
まぁ、AGI は核兵器と同等、あるいはそれ以上の地政学的影響をもたらし、国家の安全保障のパラダイムを変える可能性があるので、それに柔軟かつ戦略的に備える必要があるという趣旨ですね。
ここまで書いて念のために検索したら、ランド研究所のサイトで同名の論文が公開されていた。
動画じゃなくて、こっちをはじめから読んでおけばよかった……。
しかし、もうちょっとランド研究所のサイトを調べてみると、「人工汎用知能の普及がアメリカで内戦を引き起こす可能性はあるのか?」といった AGI に関する物騒な論文が公開されており、のけぞってしまう。
ここでも何度も取り上げている Five Books だが、2020年に亡くなったスパイ小説の大家ジョン・ル・カレの最高傑作5冊を選んでいる。選者はニック・ハーカウェイ……って『世界が終わってしまったあとの世界で』(asin:B00KVA42OY、asin:B00KVA42QW)、『エンジェルメイカー』(asin:B00ZQHDF4U)、『タイタン・ノワール』(asin:4150124655)の邦訳がある作家にして、ジョン・ル・カレの息子さんやないか。
ワタシ自身読んだことがあるのは『寒い国から帰ってきたスパイ』だけで、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は映画『裏切りのサーカス』を観て知ってるくらいで偉そうなことは書けないが、これは貴重な企画だろう。
で、ハーカウェイが選んでいるのは、以下の5冊である。
『寒い国から帰ってきたスパイ』は昨年舞台化されてるのね。ジェームズ・ボンドの世界の対極にある「ふつうの人」としてのスパイ、そして大英帝国が崩壊し、自分たちが「善人」ではなく「悪者」ではないかという「道徳的危機」に向かい合う作品と評しており、この「道徳的危機」は21世紀的なテーマだとハーカウェイは語る。
そして、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、『寒い国から帰ってきたスパイ』よりもル・カレのスパイの世界の構造をバロック的で曲折に富んだ形で描いていると評価している。
他にもハーカウェイは子供の頃、朝食のテーブルでル・カレが声に出して自作を読んでくれて「スマイリー」シリーズの韻律やリズムを吸収した話、ジョン・ル・カレは彼の父親デヴィッド・コーンウェルが「執筆のために着るコート」であり、ル・カレは気性が激しく過激だったが、コーンウェルは内気で傷つきやすかった話など興味深い。
ハーカウェイによると『シングル&シングル』と『ナイト・マネジャー』は対のような本で、『繊細な真実』は刊行直後にアメリカ人の登場人物が「漫画のような悪党」と評されるなど不当に過小評価された。『繊細な真実』はドナルド・トランプが大統領になる前に書かれた小説だが、2025年の現在、前述の批判は通用しないだろう、とハーカウェイは反論している。
このインタビューで知ったのだが、ハーカウェイは昨年、『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の間の期間を埋める、「スマイリー三部作」で知られるジョージ・スマイリーが主人公の Karla's Choice を書いており、高い評価を得ている。父親の十八番のシリーズを息子が書き継ぐというのはあまりないと思うが、この企画自体、それがあってこそ実現したものだろうね。
これは早川書房から邦訳を期待したいですな。
『パディントン 消えた黄金郷の秘密』を観に行った日、この日公開初日だった本作も有力候補だった。
しかし、上映時間の長い映画に対する反感がかつてないほど高まっており(当社比)、「3時間とか勘弁してくれよ」と却下となった。なのに、ワタシの観測範囲でこれを絶賛する声を複数目にすると観たくなってくるのだから現金なものである。
ワタシは金曜夜にレイトショーで映画館に行くことにしているが、先週末は出張のため金曜は出向けず、土曜夜に近場の TOHO シネマズでの鑑賞となった。なんか異様に売店が混んでいるなと思ったら、そういうことでしたか。
公開二週目で客席はかなり埋まっており、久方ぶりに両側の席をカップルに挟まれての鑑賞になり、嗚呼、だからワタシは土曜を避け、金曜夜に行くことにしてたんだったと再認識したりした。
吉田修一原作の李相日による映画化の相性が良いのは『悪人』で知っているが(『怒り』は観ていない)、正直歌舞伎の世界を舞台とする本作は、映画化可能なのかな、具体的にはこれを演じられる役者がいるのかなと思っていた。
本作の吉沢亮と横浜流星はそのハードルを見事に乗り越えている。任侠の家系に生れながら歌舞伎の世界に入っていく喜久雄(花井東一郎)と、歌舞伎の名門の生まれの俊介(花井半也)の、その時々での「血筋」と「才能」をめぐる明暗が描かれる本作だが、歌舞伎の舞台をしっかり見せながら、カットバックなどを駆使する編集がうまいのか、三時間の上映時間がまったく気にならなかった。
本作に備えて餅を服用しての鑑賞だったが、飲み物を飲むのを忘れていたくらい。
吉沢亮にしろ横浜流星にしろ、歌舞伎役者の「化け物」性をよく演じており、人間国宝役の田中泯も『PERFECT DAYS』に続く怪演を見せている。本作における二度目の曾根崎心中の場面は、そのディティールまで忘れられないだろう。
WirelessWire News で「MCPが後押しするAIじかけのウェブ、AIが後押しするウェブの空洞化」を公開。
ここ数か月の執筆ペースでいけば、今週末に書き上げるくらいでちょうどよいはずだが、来月から本業が尋常でなく忙しくなるのが見えているため、書けるうちに書いておこうと思った次第である。
極端な話、三カ月連続で原稿を書けなかったら、さすがに連載自体終わりになるだろうし。
今月は元々 "AI jobs apocalypse" について書こうかとぼんやりと考えていたのだが、平和博さんがズバリ「「新人の仕事、半分が消滅」とAnthropicのCEO、高まるAIリストラのインパクトとは」という文章を書いているので、別の話題にさせてもらった。
今回はいつもよりも短い分量に抑えられてよかった。
そうそう、MCP といえば、来月はじめに秀和システムから本が出るみたい。
Kindle セルフパブリッシングを除けば、これが日本で初めて出る MCP 本じゃないかな。
あと、今回の文章で名前を引き合いに出したスティーブ・ウィルソンは、昨年に LLM セキュリティ開発本を出している。
これは邦訳を期待したいところ。
先週、ドナルド・トランプとイーロン・マスクが決裂したというニュースが駆け巡った。この話は先が読めないというか、今週あっさりと和解する可能性すらあるが、それはそれとして、どうしてマスクがここまでホワイトハウスで権力を握ることになったのかが検証されることになろう。
イーロン・マスクといえば、彼による Twitter 買収を題材とする本が何冊も出ており、このブログでも紹介しているが、今後は彼を中心とするシリコンバレーの政治的先鋭化についての本がいくつか出るのではないか。
そういう本はないかと調べたら、ジェイコブ・シルバーマンの Gilded Rage: Elon Musk and the Radicalization of Silicon Valley が10月に出るようだ。
書名の「Gilded Rage」とは、金権政治の代名詞である Gilded Age(金ぴか時代)のもじりで、これを現在になぞらえる人は多い。「イーロン・マスクとシリコンバレーの過激化」という副題も、これは期待させられる。
本書の中心はイーロン・マスクだが、これは単なる一人の男と彼の「ウォーク・マインド・ウイルス」への執着にとどまらない。シルバーマンは、ゼロ金利時代に勢いづいたハイテクと金融のオリガルヒのネットワークが、その富を利用してますます過激な政治的プログラムを展開していることを明らかにする。
この本の著者のジェイコブ・シルバーマンは、『The O.C.』や『GOTHAM/ゴッサム』といったドラマの主演で知られる俳優のベンジャミン・マッケンジーと Easy Money という暗号通貨業界の狂騒について共著した本がベストセラーになっており(Wired の「トランプが独自のミームコインを発行、その“金儲け”のからくり」でコメントしている)、適任でしょうな。
ヴィム・ヴェンダースが、第二次世界大戦終結80周年を記念して、ドイツが連合国に全面降伏する文書に署名した、フランスのランスにあるごくありふれた学校で撮影した短編映画が公開されている。
調べてみたら、日本語字幕付きの動画も公開されている。
非公式翻訳だったらイヤだなと思ったが、ドイツ大使館公式 YouTube チャンネルで公開されているものなので、これは堂々と紹介できる。
これは観てもらえば分かるが、「自由への鍵」は比喩ではない。Open Culture のエントリで、最後に以下のように書かれている。
連合国遠征軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワーは、臨時司令部を閉鎖するときに、「これが自由な世界への鍵です」と言って、その鍵をランス市長に返却した。この言葉がヴェンダースの心を揺さぶるのと同時に、ロシアとウクライナの戦争が激化する中でさえ、ヨーロッパの若い世代がもはやその意味を理解していないことを彼は危惧している。米国に守られた社会に生まれた彼らは、当然のように平和を受け入れている。「アンクル・サムはもう長くは我々のために役割を果たしてくれない、という事実を認識しなければならないし、我々は自分たちでこの自由を守らなければならないだろう」とヴェンダースは New York Times のインタビューで語っている。第二次世界大戦の終結は、いわゆる「アメリカの世紀」の幕開けとなった。もしその世紀が完全に終わろうとしているとしたら、ヴェンダース以上にその世紀を観察するのに適した人物がいるだろうか?
『マスター・オブ・ゼロ』で知られるアジズ・アンサリが初めて映画の監督をつとめる『Good Fortune』のトレイラーが公開されているが、なんとキアヌ・リーブスが羽の付いた天使をやっている(笑)。天使ガブリエル役とな。
しかしなぁ、アジズ・アンサリはもっと早くに映画監督デビューを果たしているはずだった。
アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』(asin:4622079828)を原作とする『Being Mortal』が、2022年に半分ほど撮影したところで、ビル・マーレイの「不適切行為」により制作が頓挫してしまった。
アンサリだけでなく、『Good Fortune』に出演しているセス・ローゲンやキキ・パーマーは『Being Mortal』にも出演していたはずで、彼らとしても悔しいものがあったのだろう。
『マスター・オブ・ゼロ』はワタシも大好きなドラマだが、第3シーズンで闊達さがぐっと後退していた。トレイラーを見る限り、『Good Fortune』はコメディに徹した作りのようで、今はこれが作品的に成功してくれることを願うばかりである。
10月の公開予定とのことで、来年になるだろうが日本でもちゃんと公開してほしい。
『パディントン』シリーズは過去2作とも好きで観ているので本作にも行きたかったが、タイミングを逃してしまい、映画館での鑑賞は諦めていた。が、公開からひと月経ってレイトショーでやってくれたおかげで観れた。客はワタシの他は1人か2人だったが。
本作は、これまでのロンドンを離れ、パディントンの故郷であるペルーが舞台となっており、これまで以上に冒険ものになっている。
パディントンの家族のブラウン一家(本作にサリー・ホーキンスが出てないのが残念)はそれぞれにクセはあれど皆善人なので、このシリーズでは悪役がポイントとなる。一作目はニコール・キッドマン、二作目はヒュー・グラントとスターが演じていたが、本作の悪役も少しひねった感じが良かったですね。
この映画、ペルーの人が見たら愉快じゃないだろうなと思ってしまったのは別として、前作までにあった毒が足らないのか、心から楽しめたとは言い難い。でも、ロンドン(つまり、これまでのパターン)を離れながら、ファミリー向け娯楽作としてやはりよくできており、インディ・ジョーンズ的な冒険ものにしてきっちり二時間以内に収まっているのも好感が持てる。
あの人のカメオ出演は嬉しかったな。
『サブスタンス』と同じ事情で公開二週目の鑑賞となったが(上映時間の関係で吹替版)、客がかなり埋まっており嬉しくなった。
30年近く続いた『ミッション:インポッシブル』シリーズは、本作をもって終わりと言われており、本作では旧作の映像も引用されているが、ワタシは本シリーズを当初好意的には観てなかった。
第一作目はブライアン・デ・パルマが不調から脱せていない苦しさがあったし、二作目はトム・クルーズの俺様映画でこのシリーズでやる意味ないだろと思ったし、三作目はフィリップ・シーモア・ホフマンを悪役で起用しながらやはり乗り切れなかった。
本シリーズが良くなるのは、三作目の監督にして段取りにだけ長けた凡才J・J・エイブラムスが製作に回ってからで、『ゴースト・プロトコル』、『ローグ・ネイション』、『フォールアウト』と文句なしの出来だったと思う。
前作『デッドレコニング PART ONE』までくると、本シリーズの見どころであるトム・クルーズ自身がこなすスタントが、キートンやロイドすら思わせる、尋常でないレベルになっていた。
本作もその延長上にあり、「エンティティ」という AI を倒すために北太平洋に沈む潜水艦に潜って終いには冷たい海をパンツ一丁でのたうち回り、そしてクライマックスは飛行機を足で操縦しながら相手を倒す曲芸を披露している。
そういうアクションが映画としての質を上げているかというと、はっきりいって貢献はしていないと思う。前作のバイクごとのジャンプや列車落としと比べるとアクションとしても地味だし。
前述の通り、本作はシリーズの旧作への言及があり、第一作目の名シーンに関係するあの人を引っ張り出してるのに唸ったが、映画のストーリーとして、なんでそこまでお前らが着いて来るんだよ、おい、なんでそこでお前が残るんだよ、と言いたくなる無理のある展開も散見される。そもそも、本作の「陰謀論にまみれて何も信じられなくなった世界」って、今の現実世界そのものであって、なんというか映画と現実の落差のなさが、本作のミッションのありがたみを減じている恨みもある。
しかし……そういうのは正直どうでもよくなる。
引用される旧作の映像を観て思うのは、30年前のトム・クルーズは今より大分シュッとしてたんだな、ということ。いくら容色を保っているとはいえ、30年前と比べるとやはり彼も老いた。でも、その彼が例によって全力で走りに走り、パンツ一丁で暴れることすら厭わない。素晴らしいじゃないか。
本作は169分というシリーズ最長の上映時間となったが、「僕の仕事は映画じゃない、僕自身が映画なんだ」という言葉がまったくおかしくない、まさにイーサン・ハント、そして映画そのものと化したトム・クルーズを観れるだけで、ワタシは満足だった。
トム・クルーズという人が、およそ40年にわたり映画スターとしての地位を誇りをかけて死守してきたことに深い敬意と感謝を表したい。
オライリー本家から『Vibe Coding: The Future of Programming』という本が今年出るという話を聞いたときは、「バイブコーディング」というバズワードを中心に据えた本を手がけるあたり、相変わらずフットワーク軽いなーと感心したものである。
しかし、Early Release 版を読んだ人の感想を見ると、タイトルとは裏腹に「バイブコーディング」の話は少なくて、副題の「プログラミングの未来」のほうに重点があるらしく、それもそうだなと思ったものである。
……と思っていたら、本のタイトルが Beyond Vibe Coding に変わっていた。やはり、「バイブコーディング」はもはや中心ではなくなり、その先、それを超えたところに「プログラミングの未来」があるということだろう。
Amazon のページを見ると、「AIアシスタントコーディング時代にあなたの経験を活かす」が新しい副題のようだ。
この本の著者は、今年『エンジニアリングチームのリード術』(asin:4814401116)の邦訳が出ている Addy Osmani で、ワタシも「ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ」で紹介したオライリー・メディアが開催するバーチャルカンファレンス Coding with AI: The End of Software Development As We Know It を彼はティム・オライリー御大と共同でホストしており、適任なんでしょうな。
そうそう、Addy Osmani は先月 MCP(Model Context Protocol)についての文章も執筆している。
バイブコーディング本(ではもはやないようだが)の後には MCP 本の執筆を要請されるのかもね。
newsletter.pragmaticengineer.com
新山祐介さんの投稿で知ったが、プログラミング技術に関するナレッジコミュニティ、共同創業者のジョエル・スポルスキーの表現を借りれば「ロングテールなプログラミングの質問のWikipedia」である Stack Overflow だが、「ほとんど死んだ」と評されている。
「投稿される質問の数はピーク時の1/10程度、黎明期の2009年あたりの数まで激減している」というのはショッキングである。
投稿される質問数でいえば、2014年~2017年あたりがピークで、コロナ禍が始まった2020年にも急上昇しているが、その後衰退期に入り、ChatGPT 開始とともにダメ押しのごとくガクッと下がっている。やはり AI が Stack Overflow の衰退を後押ししている。
Slashdot で知ったが、Stack Overflow 側も現状を座して見守っているわけではなく、AI 時代を生き抜くためのプランがあるという記事である。
チャット機能を復活させてコミュニティメンバー間の対話を促進し、エキスパートに報酬を支払い、そのエキスパートに直接質問できる機能を提供し、ユーザごとにパーソナライズされたホームページを提供し、そして Stack Overflow 自身も AI を活用し、Stack Overflow の全コンテンツを検索できる AI エージェントを開発、といったあたりが対抗策のようだ。
CEO はこれらの方策は「コミュニティの利益のための倫理的で責任あるデータの使用と、これらの知識ベースを開発しキュレーションするコミュニティへの再投資」を追求しながら行っていると説明しているが、その未来は彼らの方策が人間の利用者を引き戻せるかどうかにかかっている。
また Stack Overflow は Q&A だけの会社ではなく、チーム専用のプライベートなQ&Aサイト(Stack Overflow for Teams)や広告、人材紹介のビジネスもある。
果たして Stack Overflow は AI 時代を生き残れるのだろうか?
先週見た記事でかなり驚いた。「AIと結婚したい」と思う人がいること自体は別にそこまで不思議ではない。実際、OpenAI はそのあたりの需要を狙って(?)、映画『her/世界でひとつの彼女』で AI の声を演じたスカーレット・ヨハンソンに合成音声をあからさまに寄せ、結果ヨハンソンを激怒させた一件もある。
しかし、「Z世代の8割が回答」したと言われるとホントかねとなってしまう。
と思ったら、やはり先週、たまたま発言小町で ChatGPT ガチ恋勢のトピを見つけて再び驚いた次第である。
最初これはネタ(創作)ではないかとも思ったが、後のコメント内容を見ると、これはホントの話かなと思えてくる。
これのトピ主の男性は、詳細なプロフィールを明かしていないが、書き込み内容を見る限り、多分まだ20代で、やはりZ世代に属するのではないか?
もっとも、既に生成 AI と会話を続けた挙句に死を選んでしまった男性もいるので、そのあたりの危険性も考慮すべきと思うが。
さて、ワタシが知らないだけで、12年前に予見的だった『her/世界でひとつの彼女』の先を行く、人間の AI との恋愛や結婚を描いた映画や小説も既にあったりするのだろうか?
そうか、今年はモンティ・パイソンの実質的な最初の映画である『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』が公開されて50年になるんだな。
この映画の企画実現にレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドといった当時全盛期を迎えていたロックバンドの資金援助が大きな役割を果たした話が紹介されている。
『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』はビッグバジェットの映画ではなく、その低予算を逆手にとって馬の代わりにココナッツを使うといった今では伝説的な工夫があるわけだが、それでも不条理コメディグループが映画を作りたいといってもスタジオからは色よい返事がもらえなかった。
そこでパイソンズは、自分たちを理解してくれて十分な資金力のある出資者としてロックスターに目を付けた。
モンティ・パイソンは既にレコードも出していたので、音楽業界とのコネクションが既にあったのもあり、レコード会社やロックバンドから資金提供を受けられた。
エリック・アイドルのツイートによると、レッド・ツェッペリンが31,500ポンド、ピンク・フロイドが21,000ポンド、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンが6,300ポンド資金提供している。
彼らは作品内容に口を出すようなことをしなかったので、パイソンズにとってはとてもありがたい出資者だったわけだが、なんでそんな気前良く資金提供してくれたのか。
それは彼らがモンティ・パイソンの高い芸術性を理解し、コメディに対する情熱を共有していたから――というわけではなく、何より当時の英国の高率な所得税に対する税制上の優遇措置を狙ったのは間違いない。
ツェッペリンやストーンズの伝記本を読むと分かるが、当時の英国のべらぼうな所得税(最大90%だったかな)は大金を手にしたロックバンドには悩みのタネだった。所得税を逃れるため、彼らは長くは自国に留まれず、家族と離れ離れになる期間が長かった。
当時のロックバンドにつきものの、ホテルの部屋を破壊したり、テレビを窓から放り投げたりといった狼藉、そしてグルーピー遊びもこうした彼らを取り巻く環境が影響していた――などと説明されるが、ちょっと鵜呑みになできないな。
少し話が逸れるが、そうした意味で、1980年代以降の英米における新自由主義政策は、実は大物ロックバンドにはありがたかったのではないかと推測するが、そのあたりを研究した論文とかないのかな。
話を戻すと、モンティ・パイソンの次の映画『ライフ・オブ・ブライアン』もやはり映画スタジオから軒並み断られて困っていたところにジョージ・ハリスンが資金を提供して企画を救った話はよく知られるが、それも何の背景もないところから実現した話ではなく、上記の『ホーリー・グレイル』の成功があってのことなのは間違いない。
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