"Be nice to us. We never forget a face." ---全米高校記憶選手権の強豪チームのTシャツに(出典)
2012-02-10
■[紹介] Early Modern Texts

近世の哲学のテキストを読むときに便利なサイトがあるので紹介。
Early modern textsというサイトでは、カントやライプニッツからロック・ヒュームといった近世の哲学者の著作を、わたしのような語学力に不自由な素人でも読めるようにテキストを編集した形で提供している。「テキストを編集」というのは、英語以外で書かれた著作を英訳するだけではなく、わかりやすくするために挿入語句を入れたり、難解でテキスト全体の理解に資さないところを削除したり、箇条書きにできるところは箇条書きにしてテキストの構造を明らかにするといったことだ。
編集を行っているのは著名な哲学者(哲学史家)であるJonathan Bennett。Bennettの著作でわたしが知っているのは
Learning from Six Philosophers: Descartes, Spinoza, Leibniz, Locke, Berkeley, Hume
- 作者: Jonathan Bennett
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr on Demand
- 発売日: 2003/12/11
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だが、他にも哲学史の著作多数ということで、翻訳や編集は一応信頼できると思う。
で問題はどのように・どのくらいわかりやすくなっているかということだが、例えば『純粋理性批判』の「観念論論駁」の証明のところは以下のようになる(B275f.、いまわたしがもっているファイルだと126頁)。*1
I am conscious of my own existence as determined in time, ・i.e. I am conscious of myself as being in various states at various times・. All ・knowledge of・ temporal details presupposes ・knowledge of・ something persistent in perception. But this persistent thing can’t be an intuition in me. For the only grounds there are in me for any account of my various states are representations; and as representations they themselves require a persistent thing distinct from them, in relation to which their change, and so my existence through the time in which they change, can be determined. Thus perception of this persistent thing is possible only through a thing outside me and not through the mere representation of a thing outside me; and consequently
- my sense of the details of my existence in time is possible only through the existence of actual things that I perceive outside me.
Now, ●my consciousness of my own existence in time is necessarily tied to a ●consciousness of the possibility of my having this sense of myself as being in various states at various times; and so it follows that
- my consciousness of my own existence in time is necessarily tied to the existence of things outside me.
In other words, the consciousness of my existence is at the same time an immediate consciousness of the existence of other things outside me. ・Q.e.d・.
この引用で箇条書きや「●」になっているのが話の構造をわかりやすくするための工夫で、「・」で挟まれているところが挿入となる。これがGuyerとWoodによる翻訳
Critique of Pure Reason (The Cambridge Edition of the Works of Immanuel Kant)
- 作者: Immanuel Kant,Paul Guyer,Allen W. Wood
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 1999/02
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だと、次のようになっている(訳本327頁)。
I am conscious of my existence as determined in time. All time-determination presupposes something persistent in perception. This persistent thing, however, cannot be something in me, since my own existence in time can first be determined only through this persistent thing. Thus the perception of this persistent thing is possible only through a thing outside me and not through the mere representation of a thing outside me. Consequently, the determination of my existence in time is possible only by means of the existence of actual things that I perceive outside myself. Now consciousness in time is necessarily combined with the consciousness of the possibility of this time-determination: Therefore it is also necessarily combined with the. existence' of the things outside me, as the condition of time-determination; i.e., the consciousness of my own existence is at the same time an immediate consciousness of the existence of other things outside me.
ということで、Bennettのテキストは結構親切になっている。もちろん、カントを専門にしようとする人がこのサイトだけ読むのは薦められないが、近世哲学のユーザーはそんな人ばかりではないので、ライトなユーザーには、翻訳と簡単な解説が一緒になったようなこうしたテキストは知っていて損はないと思う。
*1:ただし、pdfをそのままコピー&ペーストしたのではhtml上でうまく再現できないので、若干記号を直してある。
2012-01-04
■[メモ] 一日のどこかで、プロジェクトのことを考える

博士論文を抱えている人に話したアドバイスの中で、ちょっと反応がよかったものがあるのでメモ。
博士論文を書くのにはたいがい時間がかかる。一年から二年かかるというのはほとんど短い方の部類だ。そして博士論文を書くという段階に至った人は、「教える」ということが仕事が入ってくるので、たいてい忙しい。つまり博士論文を書く人は「時間のかかるプロジェクトを、忙しい中で遂行していく」というとても難しいことをこなさざるを得ないことになる。
そうした中で気をつけないといけないことのひとつは、博士論文とは直接関係ない仕事のせいで忙しくしている内に、プロジェクトの詳細を忘れてしまうことだ。わたしの場合でもいろんな仕事に何ヶ月もかまけていて、いざ博士論文のプロジェクトに割ける時間ができたときでも「えっと、今までは何をしていたっけ?」という状態になることが多かった。そうすると以前の状態にアタマが戻るまで何日もかかる。これはとても時間がもったいない。
そこで少し役に立ったのが「できるだけ――とても短い時間でよいので――毎日プロジェクトに関わる活動をする」ということだ。「プロジェクトに関わる活動」というのはもちろんなんでもよい。たとえば今取り組んでいる章のアウトラインメモを毎日読み返すとか、論文に関係する本を数行でもよいので読み進めるとか。そしてたいせつなのは活動をする時間は非常に短いものでよいということ。たとえば「毎日五秒アウトラインメモを見る」と決めたとすると、五秒だけ見る。よほどの非常事態でなければ、一日に五秒の時間もとれないということはないだろう。そして万一非常事態になったとしても、それが一日や二日ぐらいならば、またメモを見ることで自分がどういう状態にあったかすぐに思い出せる。
これを続けていくと、時間ができてプロジェクトを再開したときでも、割と早くに以前の状態を思い出していけることが多かったような気がする。
まあこれがどのくらい役に立つかはわかりませんが、「一日五秒、プロジェクトのことを考える」というのは金銭的・時間的・精神的コストがほとんどかからない方法なので、興味のある人は試してみてください。
2011-12-06
■[紹介] 創造的な人の特徴

授業の関係でPaul Thagardの
Hot Thought: Mechanisms and Applications of Emotional Cognition (Bradford Books)
- 作者: Paul Thagard
- 出版社/メーカー: A Bradford Book
- 発売日: 2008/08/29
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を読んでいたら、創造的な人の特徴を書いた表が出てきた。これはJeff ShragerとThagardが2001年にバージニア大学でで行われたWorkshop on Cognitive Studies of Science and Technologyで会員に創造的な人の特徴("7 habits of highly creative people")についてアンケートを採ったものをまとめたものだ。
1. 新しい脈絡を作れ
- 一つの分野にこだわるな
- 幅広く読書しろ
- アナロジーを使って物事をつなげよう
- ことばだけでなくビジュアルを使え
- 他の人が皆やっていることについて研究するな
- 一つの方法にこだわるな
- 新しいメカニズムを求めよ
2. 予測どうりにはならないことを予測せよ
- アノマリを真剣に受け止めよ
- 失敗から学べ
- 失敗からリカバリせよ
3.しつこくなれ
- キーとなる問題にフォーカスせよ
- 行き当たりばったりにやるのではなく、記録をつけよ
- 仮説を受け入れるのは早めに、あきらめるのは後で
4. 興奮しろ
- おもしろいプロジェクトを追っかけろ
- アイデアや物事と戯れろ
- おもしろい問を立てろ
- リスクを取れ
5. 人とつきあえ
- 頭のよい共同研究者を見つけろ
- よいチームをつくれ
- 他の人がどうやって成功しているか研究しろ
- 経験者の話は聞いておけ
- さまざまな認知スタイルを進めろ
- 他人に自分の研究を伝えろ
6. 世界を使え
- よい環境を見つけろ
- 道具を作れ
- アイデアをテストしろ
■[本] 「言語技術」が日本のサッカーを変える

- 作者: 田嶋幸三
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/11/16
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を読んだ。サッカーについての新しい考え方を示した本だが、少しつっこみ不足のところもある。
著者の言う「言語技術」とは、一言で言うと、自分のプレー・考え・感情を他人に筋道だった仕方で説明できることである。そして欧州と比べたとき、これが日本のサッカーにもっとも欠けているものの一つだと著者は考える。これは、ワールドカップで一人の選手が退場し10人でプレーしなくてはいけなくなったときにベンチを見もしなかったイタリアの選手と、ゲーム形式の練習で進行を止めてプレーの意味を尋ねたときに視線が宙を舞う日本のユースの選手を比べたときに明らかである。
著者はこうした言語技術は若い頃からの訓練によって身につけさせるのが効率的と考え、中学生のサッカー選手を集めトレーニングをするJFAアカデミー福島という施設で、言語技術を伝授する講義をもうける。本書の一部はその講義の内容の紹介にあてられている。
著者はドイツに留学経験があるが、本書で取り上げられているような日本人とドイツ人のあり方の違いは、哲学者の中島義道が書いた
「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)
- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1997/10
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でも詳しく論じられているので、よく理解できる。そして哲学の技術のなかには、本書で述べられているような「言語技術」も入っている。この二つを組み合わせると、哲学をするとサッカーがうまくなるという結論が出てくるはずであり、グーグルが哲学者を雇っているように日本サッカー協会は哲学者を雇うべきなのである。
そこまではよい*1のだが、本書にはややつっこみ不足のところがある。それは、本書では「言語技術を身につけるとほんとうにサッカーがうまくなるのか」という問いには証拠が提供されているが、「言語技術を身につけることでどういう風にしてサッカーがうまくなるのか」ということがあまりかかれていないからである。前者の問いについては日本と欧州の比較がある程度の答えを示唆する。しかし、どのようにして言語技術が役に立つのかについては、「サッカーのうまい国の選手は「言語技術」を身につけているが、日本人選手はそうではない」を大きく超えることが書かれているわけではない。
また、著者はこうした見方をサッカーに対するかなり斬新な見方として提示しているが、ほんとうにそうだろうか。野球に目を転じれば、何人もの方が指摘しているとおり、いわゆる「野村野球」との類似が見て取れる。野村克也監督も選手に考えるプレー、一つ一つのプレーをきちんと説明できることを求める。このことが重要なのは、著者が、本書で述べているような「言語技術」は小さい頃から習慣化しないといけないと強調しているからだ。しかし、いうまでもないことだが「野村の考え」を身につけたひとは成人の野球選手である。こう考えると、著者のいう「言語技術」がそこまで特殊な技能なのか、疑問を覚えなくもない。
さらに、本書の最終盤では「什の掟」という江戸時代会津藩で継承されてきた青少年への教えが紹介されているが、その教えはそれまで論じられていた事柄と真っ向から対立するように思われる。たとえば、著者は什の掟の「一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。...ならぬことはならぬものです。」を元にして、6-10才という若い時期に「ならぬことはならぬ」という人間としての基本を埋め込んでいくことが大事であり、またこの掟は武士道の表れであり、日本流のサッカーを作っていくときに参考にするにふさわしいと論じる。
たしかにそれぞれの国のサッカーがその国の伝統を何らかのかたちで帯びたものになるという主張は、わからなくもない。しかし、「年長者の教えに背いてはいけない」というのは、これまでの主張と180度反するものではないか。こうした議論を受けて著者は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにまじめに向かい合わなくてはいけない日本社会の状況を嘆いているが、著者が手本にするドイツ人はこうした問いを真剣に考えないだろうか。
日本のサッカーが成功した暁にはそのサッカーが何らかの意味で「日本流」のプレースタイルをもつだろうが、しかし著者は「日本流」のサッカーを作るという目標にとらわれるあまり、本書前半との整合性を欠いた主張に落ち込んでしまっているのは残念だ。
*1:そして哲学者にとって都合がよい。
2011-11-01
■[本] Why We Cooperate

Why We Cooperate (Boston Review Books)
- 作者: Michael Tomasello
- 出版社/メーカー: The MIT Press
- 発売日: 2009/08/28
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を読んだ。ヒトを他の動物から分ける大きな特徴として個体同士の協力に着目するのは一つのトレンドだが*1、それに関する研究を簡潔に議論する本。マイケル・トマセロが100ページあまり最近の研究を自らのものを中心に紹介し、シルクやスカームズといったこの分野の他の重鎮がそれにコメントをするという構成になっている。
協力の進化
トマセロが執筆した第一章では、ヒトが幼児期から個体同士が協力し合うマインドセットをもっていることが示される。ある実験では、まったく縁戚関係のない大人が困っている状況をみたとき、一歳半の乳児でさえ大人を助けようとする(たとえば両手がふさがっている大人の前のドアを開けてあげようとする)ことを示す。
これに対してチンパンジーでは協力行為はまれである。たしかにチンパンジーの母親は子どもにせがまれて食物を分け与えることがある。しかし、多くの場合母親は子どもからの要求を拒否し、分かち合いをする場合でも、子どもに与えるのは食べ物の中でもかたい食べにくい部分であることがほとんどであるという。またアラーム・コールやフード・コールを出すときでも、そのコールの情報的内容にはコールの有無は影響されない。そこに食料があることが群の他の個体にとって既知だろうが未知だろうが、個体はフード・コールを出すのである。
協力の制度化
こうした協力行動への強い傾向性がヒトに備わっていることを確認したあとで、トマセロは第二章でそれがどのように発達的に制度化されていくかを記述する。
ヒトの協力行動は、友達の引越で荷物を一緒に運ぶときに見られるようなナマの協力だけに関わるものではない。むしろ人間社会の特徴として、協力行為が慣習となり制度化されていることが挙げられる。例えば「スーパーマーケットでモノを買う」ということが円滑に進むためには、スーパーマーケットとはどういうところか、またそこでの約束事(商品を得るにはお金を払わなくてはいけない、お金はレジで払う、商品の値段は商品があるところに書いてある、など)を皆が理解していなくてはいけない。第二章では、こうした制度化を可能にするような「慣習」への理解がヒトではかなり早い時期から始まっていることが示される。
発達的観点から見た場合の協力の制度化への一つの契機は、共同注意である。たとえばヒトでは幼児でも「対象を指さして注意を向けさせる・指さされたものに注意を向ける」ことが生じるが、チンパンジーはそうではない。このように、共同注意に関してチンパンジーとヒトの間でそれなりに顕著な違いが見られることは、前に読んだ『ソーシャル・ブレインズ』
- 作者: 開一夫,長谷川寿一
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
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でも指摘されていた論点である。*2
こうした共同注意を一つの契機として、ヒトは哲学者のサールがいうところの「〈われわれ〉志向性」(We-intentionality)を成り立たせている。つまり「わたしはこう思う」「わたしはこうする」というレベルだけではなくて、「われわれはこう考える」「われわれはこうする」という一段上のレベルの志向性が成り立っているのである。チンパンジーにはこうした「〈われわれ〉志向性」はない。たとえばチンパンジーが共同で狩りをするとされた事例でも、実際に生じているのは個体が全体のパフォーマンスに留意して行為する協力行為ではなく、個体が自分の利益に追求していった結果生じるようないわば「なんちゃって協力行為」であるとトマセロは述べる。
さらにヒトでは幼い時期から制度や慣習の規範的性格を理解していると論じられる。たとえば、ゲームを遊ぶ中で「棒きれをウマと見なす」ことを教えられた幼児は、後にゲームに参加したパペットがそれに従わないとパペットに注意し、上の見なし行為に従うことを要求する。トマセロによれば、これは幼児がゲームのルールを慣習に基づく構成的ルールとしてその規範的側面を理解していることを示すのである。
シルク:相互利益主義ではなく利他主義が協力の主要因[→見出しが内容の逆だったので修正しました(Dec 8)]
こうしたトマセロの議論に対してさまざまな論者がコメントをしているわけだが、ここではシルクのコメントを紹介する。シルクは、ヒトの協力現象を説明するときにトマセロが利他行為(altruism)ではなく相互利益行為(mutualism)が重要だとしていることに異議を唱える。シルクの基本的論点は、相互利益行為は、共同で狩りをするときのように各プレイヤーが共同行為からその場で受け取る利益が同じ程度でなくては利己的行為へ崩壊してしまうが、それが成り立つのは非常にまれな場合のみであるという点だ。
むしろ利他行為のほうが協力現象の解明には重要である。シルクは二つのポイントを上げる。ひとつは、ヒトにはより大きな共同体の利益に快を感じる傾向性があることである。こうした傾向性をもつ個体は協力の成功それ自体に快を感じるから、利他主義を通じて協力の成立に資する。もうひとつは
チンパンジーは共同作業において効果的に協働することができるが、その同じ個体が他の個体の福祉にはほとんど関心を示さない。...これは相互利益行為に必要なマインドセットが利他的な協力に必要なマインドセットと非常に異なっているからかもしれない(118)
という点である。したがって、利他主義のほうが協力現象の成立のためにはより重要な至近要因であるわけである。*3
*1:たとえば『Why Humans Cooperate: A Cultural And Evolutionary Explanation (Evolution and Cognition Series)』、『SuperCooperators: Altruism, Evolution, and Why We Need Each Other to Succeed』、『Thought in a Hostile World: The Evolution of Human Cognition』が思い浮かぶ。
*2:たとえば、アユムの場合、共同注意には必要な実験者と被験者の間の「見つめ合い」がまったく起こらなかったし、実験者による背後の指さしに追従した後は、次の思考が始まるまでその方向に注意が向けられたままになってしまうという。
*3:なお本書の翻訳プロジェクトが、おぷてぃかるふろっぐ先生の下で進められている。

それはさておき、利他的であろうと相互利益行為であろうと、トマセロの焦点は、いくつかのヒト特有の生得的基盤の上に、ゲームのルール・制度として(言語と同じように)ヒトは協力行動を学習する、ということだと思います。
協力行動がヒトの持つルール・規範・制度学習能力一般に帰せられるのか、利他行動モジュールに帰せられるのか、がトマセロとシルクの分かれ目なのでしょうか?
それは残念です。またおもしろい本を訳してください。
>killhiguchiさん
小田先生の本については、読んでいないので比較はできません。すみません。
トマセロとシルクの比較ですが、コメントのポイントは協力行動が(i)規範とかルールを学習する能力により学習されるのか、それとももっと特殊な(ii)利他行動に特化したモジュールがあるのか、ということでしょうか。
この本で読んだかぎりでは、シルクのポイントは、協力行為をどうやって身につけるのかという学習メカニズムにはなく、むしろ進化的な論点――――真の相互利益行為は、成立条件が厳しいこともありあまり生じなかったので、進化の歴史の中では余り重要でなかった(相互利他行為は自然選択の中で余り比べて役割を果たさなかった)――――に関わると思います。シルクの議論はあくまで利他行動と相互利益行動の重要性の比較であり、規範や制度の話には踏み込んでいません。
ただしわたしはこの二人の本を他に読んだことがないので、他の本ではちがうことを言っているのかもしれません。