科学哲学とは
科学の本質的限界や欠陥、構造や境界についての基礎づけをする学問。
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/PhilosophyOfScience.htm
具体的には科学の目的・科学の方法・科学的説明・科学理論の変遷といったトピックを扱う。 http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/SUhome.html
東大入試に出た野家啓一氏 野家啓一はどんな人 『歴史を哲学する』中のキーワードの一部 野家啓一氏の論文(特に参考になる) 併読すると興味深いもの 明治時代の科学論と併読 東大入試に出た野家啓一氏 評論文の背景 2002年東大国語の出典 - sazaesansazaesan’s diary のシリーズ 東大国語対策 - 勉強法・おすすめ参考書 - 東大受験まとめサイト UTaisaku-Web によると、2018年に 歴史を哲学する/野家 啓一|岩波現代文庫 - 岩波書店 が出題。 歴史哲学的な文章は2008年の 『反歴史論』(宇野 邦一)|講談社 以来。 野家啓一はどんな人 野家 啓一 (Ke…
「役に立たない」科学が役に立つ 書籍情報 著者 エイブラハム・フレクスナー、ロベルト・ダイクラーフ訳者 初田哲男(監訳)、野中香方子、西村美佐子出版社 東京大学出版会発行年 2020年7月29日価格 2,420円(本体2,200円+税)ジャンル 科学論・科学哲学・エッセイ 基礎研究の未来を問う一冊 ロベルト・ダイクラーフの『「明日の世界」』は、科学研究のあり方に警鐘を鳴らす一冊だ。現代の科学界で重視されるのは、成果が数値化されやすい応用研究や、すぐに役立つ技術開発ばかり。しかし、ダイクラーフはその風潮に疑問を投げかけ、「役に立たない」とされがちな基礎研究こそが、未来を切り開く鍵だと説く。 基礎…
This is the Japanese translation of this site. ウィリアム・A・デムスキー 2024/5/6 9:08 私が最近書いた「特定された複雑性を簡潔に」と題する記事は、私のブログに載せたものですが、『Evolution News』にも再掲載されました。それは非専門的な読者のために、特定された複雑性とは何か、そしてそれがデザインを検出するためにどのように使われるかを説明しています。しかし、なぜ特定された複雑性が機能するのか、なぜそれがデザインを検出するのにまさに必要なのかは説明されていません。それがこの記事の主眼とするところです。
This is the Japanese translation of this site. ダニエル・ウィット 2024/5/21 14:10 朗報です!エラン・ヴィタールがついに発見されました。 少なくとも、スチュアート・A・カウフマンとアンドレア・ローリーによれば。彼らの論文「Beyond the Newtonian Paradigm: A Statistical Mechanics of Emergence」(2023年の書籍『Evolution "On Purpose"』所収) で、彼らはこのように書いています。
理科系の方々に問います.科学は正しいですか? 私の予想 「科学ではまだ説明できない事がありますが,実験で実証されている範囲では正しいと思います.」 では次に,あまり理科に触れてこなかった方々に問います.科学は正しいですか? 私の予想 「まあ,科学以上にもっともらしいものがないのでそれを信じています.」 予想,当たってましたかね?(私の認知バイアスかかりすぎていたかな?笑) それはそうとして,今回は科学って正しいのかどうか考えてみましょう.(※タイトルの疑問「誰ですか」の部分は回収されません.) まずは科学という言葉の定義をしていきましょう. 科学の定義:再現性と反証可能性を一定以上兼ね備えた論…
This is the Japanese translation of this site. デニーズ・オレアリー2024/7/2 18:57 哲学者のマッシモ・ピリウーチは、疑似科学を識別し、それを高尚な科学から分離する努力でキャリアの一部を築き上げてきました。彼の著書のうち2冊は、『Nonsense on Stilts: How to Tell Science from Bunk』(シカゴ大学出版局、2018) と、マルテン・ブードリーと共編した『Philosophy of Pseudoscience』(シカゴ大学出版局、2013)です。
This is the Japanese translation of this site. ダニエル・ウィット 2024/4/4 6:59 生命システムについて学べば学ぶほど、目的、計画、目標といった目的論を持ち出さずに説明することは難しくなります。もし知的デザイナーを考慮から外すのであれば、これはある種のジレンマを生むことになります。
評論文には、デカルトが自然の対象化・操作を可能にする自然観を作ったという説明がよくあるかと思います。 例えば、 ゲノムが語る生命 ―新しい知の創出 – 集英社新書 p106「自然の見方のところで問題になったのは機械として自然を見る、機械論的世界観です。このような自然の捉え方の大本にはデカルトの心身二元論があります。このようにして体を物質として解明してきたからこそ、今の生命科学があるわけで、私たちがゲノムを手にできたのもそのおかげです。」 こうした言い方はハイデガーに基づくかと思われる記述がありました。 『反歴史論』(宇野 邦一):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部pp128-129 では、ハ…
科学コミュニケーションや科学と社会の話は評論文で出やすいようです。 秀先生直伝! | 第6回 池内了 科学コミュニケーションを学べる場所が北海道大学にあります。 科学コミュニケーション講座 CoSTEP – 北海道大学 高等教育推進機構 科学技術コミュニケーション教育研究部門 CoSTEPの雑誌『科学技術コミュニケーション』はこちらで読める。 学術誌:科学技術コミュニケーション – CoSTEP – 北海道大学 高等教育推進機構 科学技術コミュニケーション教育研究部門 専門知について考えさせられる論考 検証「水俣病総合調査研究連絡協議会」 : 有機水銀説あいまい化経緯再考 科学・技術と社会の関…
今年最大の、そして嬉しい発見は、「自分と同世代で出色の日本の数学者」の存在を知ったことだ。 「90年代ジャンプ」イズムとでも言えばいいのか、「すごい奴に出会いたい」という動機は未だに「生き」ていたのだ。 同世代の研究者については殆ど意識することはなかったのだが(初めて「少しだけ先を越された」と感じたのは成田悠輔だった)、これからもっと「面白い奴」は出てくるのではないか、という予感はある。そこへのワクワクがあるのだ。 その数学者は、自分とは全然別のアプローチから、自分とも共有できる部分の問題群やフレームワークを扱おうとしている。 (たぶんまだ、「成功」していると言えるほどの段階には至っていない)…