http://www.wakate-forum.org/data/2001/resume3.php
自然主義とは、人間の心、行動、道徳などに関する事柄も自然現象の一部であり、基本的には自然科学的方法によって解明可能であるとする立場である。したがって、科学と哲学は連続的であり、哲学の特権性は否定されることになる。これに対して反自然主義は、人間的事象は自然現象には還元できない独自の領域であり、哲学的方法による考察が不可欠であると考える。(野家啓一)
→「自然主義の誤謬」
http://db.gakken.co.jp/jiten/sa/207720.htm
明治41年2月18日の新聞『日本』において、中島孤島が島村抱月を批判する「文壇の審判者」という文章が掲載されてから、両者の間ではしばらくの間は表立った批判や論争はなかった。 しかし、それから約1年後、今度は文芸雑誌『新小説』に文壇内の消息や批判などを論ずる「寸鐵(すんてつ)」という欄が設けられた。 ※「寸鐵」というタイトルは「寸鉄、人を刺す」(短く鋭い言葉で要点や人の急所を突くこと)から来たものであろう。 『新小説』は後藤宙外が編集主幹を務めている雑誌だが、後藤宙外は自然主義に反対する立場であり、島村抱月に対して反感を抱いており、同じく中島孤島も自然主義に反対するだけでなく、抱月に対して個人的…
新聞『日本』(にっぽん)に「文壇廓清問題」という記事が載り、島村抱月の弁駁を経て、まだその話題の余波が続いていた頃、中島孤島の『文壇の審判者』という記事が同紙に掲載された。 ゛文壇の廓清は近時の文壇に於て最も痛快なる而して最も必要なる問題なり。人或は毒を以て毒を洗ふに似たりといふものあらん。されど自然主義論者の所謂「現實暴露」の時代に於て彼等主張者の現實を暴露して、赤裸々の事實を世人の眼前に示すは思ふに彼等の本望ならんか。(中略)”(明治41年2月18日『日本』より) (以下は現代語訳) ゛文壇の浄化は、近年の文壇において最も痛快であり、同時に最も必要な問題である。これを、毒をもって毒を制する…
カカコン『赤い布の少女』(部分)油彩・パネル 画学生のグループ展にて、一枚の女性像の前で、立ち停まった。モデルの視線上に立って、睨めっこした。美しくはあったが、やがて怖ろしさを覚えた。そう気づいたら、怖ろしさ以外なにも感ないほどになってしまった。 陰影の再現にとことん気を配った、丁寧な具象画だ。それ以上の(以外の)ものを画にこめようとする、意図も野心もまったくない。具象への全幅の信頼に支えられてある点が潔く、清すがしくさえある。 色と形とを追い詰めていって、なお極点にまで描き足らざれば、具象を究め残したということになるだろう。極点を超えて一歩でも描き進めれば、具象は解体過程へと踏出すことだろう…
導入 「メタ哲学自然主義について考える(後編)」である。 前編ではメタ哲学的自然主義とはどういう立場なのかを、簡単にではあるが概説し、そして現代分析哲学におけるその立ち位置を概観した。結論としては、グローバルに存在論的自然主義と方法論的自然主義に強くコミットする厳格なメタ哲学的自然主義は、分析哲学において「主流」を反映しているとは言い難く、どちらかというと多くの哲学者がリベラルで穏健な自然主義的「傾向」に緩やかにコミットしており、実態としてはメタ哲学的な多元主義が広がっているとまとめた。 ▼前編はこちら▼ https://rye2025.hatenablog.com/entry/2025/08…
導入 メタ哲学という哲学自体について「哲学する」哲学の分野がある(哲学の哲学とも呼ばれたりする)。例えば、哲学とはそもそも何か、どういった営みなのか、哲学の方法論とは何か、哲学は何を達成することができるのか或いはできないのか、哲学において真理や、知識の獲得や進歩はあり得るのか―そういった事について考える哲学の一分野だ。 一例として、メタ哲学の中でも特に有名で盛んな分野として実験哲学がある。分析哲学でよく参照される直観について、心理学等で活用されるような手法を用いて実際に実証的な調査(実験)をし、例えば普遍的/客観的とされる直観が如何に文化的影響や思考実験の恣意的な設計の仕方によってばらつきが発…
文藝革新會の発起人には、「作家」を専業でなりわいとしている者はいなかった。 ただ「発起人」ではなかったものの、作家の泉鏡花が実質上この運動に参加していた。 泉鏡花は『新小説』の編集部で後藤宙外と縁が深く、また笹川臨風とは親友とよべる仲であったので、参加することになったのは必然だったともいえる。泉鏡花自身が、なぜこの文藝革新會に参加することになったのかという理由を述べている文章があるので、引用してみる。 「何が故に文藝革新會に入りしか」 ゛如何(どん)な動機、どんな目的で私は文藝革新會に入會したかと申しますと大袈裟ですが、私のは入會したのではなく、ある意味からいふと馳せ参じたんです。登張竹風君、…
This is the Japanese translation of this site. ロバート・シェディンガー 2024/9/20 14:24 私は最近、サラ・ウォーカーの新刊『Life as No One Knows It: The Physics of Life’s Emergence』(邦訳: 『誰も知らない生命: アセンブリ理論が明かす生命とその起源』、水谷淳訳、東洋経済新報社、2025) を読みました。この本は一般大衆向けで、用語としてはほとんど使われていませんが、実際には生命の起源研究におけるアセンブリ理論についてのものです。ウォーカーは「生命とは何か?」というような質問を…
This is the Japanese translation of this site. ダニエル・ウィット 2024/5/21 14:10 朗報です!エラン・ヴィタールがついに発見されました。 少なくとも、スチュアート・A・カウフマンとアンドレア・ローリーによれば。彼らの論文「Beyond the Newtonian Paradigm: A Statistical Mechanics of Emergence」(2023年の書籍『Evolution "On Purpose"』所収) で、彼らはこのように書いています。
This is the Japanese translation of this site. ダニエル・ウィット 2024/5/13 6:24 科学は時として、大きな飛躍を遂げます。またある時には、カタツムリのような速さで進み、何千年もの間、同じ問題についてうんざりするほど討論が続くこともあります。最古の反デザイン論の1つは後者の事例です。それは2千年以上前に提唱され、21世紀でもまだ討論が続いています。しかし今、最終的な決着が見えつつあるのかもしれません。
小川未明は明治15(1882)年生まれで、中島孤島より4つほど年下であるが、二人とも東京専門学校では坪内逍遙という恩師に出会った。また卒業後は孤島も未明も文筆で身を立てることを目指し、はじめは小説家を志すも、のちに児童文学の世界に移っていったことなど、二人の間の共通点はいくつもある。 また、頻繁に交流したのは、前回(1)の項で記したように、雑司ヶ谷で近所に住んでいた頃かと思われるが、それ以外の時代においてもつかず離れずの接点はあったと思われる。 二人の共通点について、気づくところをもう一度簡単に挙げてみると次のようになる。 ・東京専門学校(現早稲田大学)を卒業、在学中に坪内逍遙の指導を受ける。…