人間とは悲しいまでに文化的ないきものである。 無聊に対する慰めなくして、三日と生きれるものでない。 明治三十七・八年、満洲の曠野に展開し、ロシア軍と血で血を洗う激闘を繰り広げていた日本陸軍にあってさえ、ときおり歌舞伎の興行をやり退屈を紛らわしていたものだ。 (Wikipediaより、奉天会戦後の日本軍第一師団) 内地から本職(プロ)を呼び寄せたのでは、むろんない。 役者・演出・道具立てに至るまで、すべて兵たちの自弁であった。女形さえ蓬髪垢面の仲間内から選出している。素人芸もいいところ、ひとつとして稚拙ならざるはなかったが、それでも毎回大喝采を浴びたというから如何に精神が渇いていたか窺えよう。 …