プロ野球、中日ドラゴンズの選手。本名・山本昌広。
左投左打、ポジションは投手。背番号は34番。
1965年8月11日生まれ。東京都大田区出身。神奈川県茅ヶ崎市名誉市民。
得意球はスクリューボールだが、サイド気味の腕の振りから140キロに満たないストレートを右打者の膝元に投げ込み三振を奪う。緩急を自在に操り、バッターを手玉に取るピッチングが身上。
しかし、パ・リーグチームを苦手にしており、日本シリーズも過去6度出場して0勝4敗と相性が悪く、一部のファンからは「逆シリーズ男」と呼ばれている。
1984年、日本大学藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。
1987年までの4年間で1軍登板はわずか4試合であった。
1988年、米国留学で生原昭宏(アイク生原)にカーブとスクリューボールを教わり*1、開花。
同年夏に日本に呼び戻されると、2完投を含む5勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。
1989年、先発ローテーションの一角を担う。
1993年、最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。
1994年には19勝を挙げて最多勝となり、沢村賞投手に選ばれる。
1996年から現在の登録名でプレー。
1997年にも18勝で最多勝を獲得。
2006年9月9日、広島東洋カープ戦で通算2000奪三振を達成。
2006年9月16日、阪神タイガース戦にて41歳1ヶ月6日でのプロ野球史上最年長ノーヒットノーランを達成。*2
2008年8月4日、読売ジャイアンツ戦にて42歳11カ月のプロ野球史上最年長で史上24人目の通算200勝を達成。
2010年9月4日、ナゴヤドームで行われた読売ジャイアンツ23回戦で6安打に抑えて完封勝ちし、45歳24日での史上最年長完封を達成、60年ぶりとなる快挙を成し遂げた。
2012年4月1日、広島東洋カープ戦で先発登板、46歳7か月の登板で、セ・リーグ最年長登板記録を達成した。
2012年4月15日、阪神タイガース戦で通算211勝目を達成し、工藤公康の持っていたセ・リーグ最年長勝利記録・プロ野球史上最年長先発勝利記録を更新した。
2012年4月22日、広島東洋カープ戦で、打者として一塁ゴロによる1打点を挙げ、打点のセ・リーグ最年長記録を更新した。
2012年4月30日、横浜DeNAベイスターズ戦で通算212勝目を達成し、杉下茂が中日在籍時代に築いた球団記録211勝を54年振りに更新した。
勝利数はドラゴンズ左腕史上最多であり、現在も記録を更新中で、セ・リーグ相手に挙げた勝利数は現役最多。
また、クワガタマニア・ラジコンマニアとしても知られ、ラジコンは自らの大会を開催するほどの腕前である。但し、ラジコン大会では本名で出場している。
現在は家族と共に東京に引っ越しており、名古屋には単身赴任という形で暮らしている。