1912年(明45)東京に生まれるが、2歳で岩手県花巻に移転。 1925年(大14)13歳で聴力失う。2年後兄が贈った油彩具で絵を描き始める。 1929年(昭4)兄・母とともに上京。太平洋画会研究所に通う。 1931年(昭6)後世「池袋モンパルナス」と呼ばる地に転居。靉光と知る。
34年頃から作品発表をはじめ、雑誌も発刊するなど、非常に活発な人だった。戦時下にはその雑誌で時局批判をしたため、ときに「抵抗の画家」と呼ばれることがある。
1948年(昭23)肺結核がもとで36歳にて没。
【小熊秀雄との出会い(2)】 原田「昭和10年代になると戦争のほうへ引きずられていくんですね。だから小熊さんの文章も悲しげな調子なのかもしれません。戦争の機運を盛り上げていこうということで、帝展は大流行します。国が在野の団体からいい作家を引き抜いて帝展の審査員にして、帝展を国家の中心的文化政策の基軸にしてしまう。そういう中での帝展は小熊さんから見ると何たるこっちゃというふうに見えたんだと思います。結局、以後の帝展は戦争ばっかり掲げる展覧会をやるようになっていった。そういう中で池袋モンパルナスを考えるとしみじみいいなと思えてきますね」
コロー『ラ・フェルテ・ミロンの風景』(大原美術館蔵) 西洋絵画に興味を抱き始めたころから、コローの画がどことなく好きだった。最近になって理由に思い当った。 ごく鈍感な高校生だったから、ゴッホとピカソを凄いと思っていた。好きなのはユトリロだった。デ・キリコもジャクソン・ポロックも知らなかった。 文学にもっとも熱心だった三十代後半は、ロートレックと松本竣介のファンだった。孤独だの孤立だのという問題を、自分なりに考えていたのだろう。そろそろ坂本繁二郎とも熊谷守一とも出逢っていたころだ。 それらの時代にも一貫して、コローの画には気持好い感じを抱いていた。 コローの描く農場風景も田園風景も雑木林風景も、…
オンライン英会話の講師と話していて、美術が好きなので英国の美術館を巡ってみたい……みたいなことを私が言ったら、英国の画家・L. S. Lowry(ローレンス・スティーヴン・ラウリー)を紹介してくれました。私ははじめて知ったのですが、マンチェスターの有名な “The Lowry” というアートセンターは彼の名前から取られているんですね。www.wikiart.org私はレッスンのあとで短いお礼をチャットに書き込むようにしていますが、その返事にも “I thought you might like to see a Lowry painting as he is very well known, …
*基本データ 場所:群馬県桐生市 行った日:2023/3 美術館URL⇒okawamuseum.jp 坂の上、見晴らしが良いです。(画像多数、WiFi推奨) 1999年には両陛下もご訪問され楽しまれたそうです。 有名建築家の大きな美術館も素晴らしいですが、個性的な私立美術館も魅力満載です。大川美術館は、もとは企業の社員寮だったそうで、山の斜面を利用して建てられており、入り口が5階で鑑賞しながら下に降りていく構造になっています。(最後に館内図があります) ラグーザ玉《水辺白鷺図》1933~39年 最初の作品で心を掴まれます。ラグーザ玉は明治期にイタリアに渡り活躍した女性画家。工部美術学校の講師と…
癸卯年二月初六。気温摂氏1.7/12.9度。晴。かねてから桐生の大川美術館を訪れてみたいと思つてゐた。地元桐生の出身で三井物産経てダイエーで中内功社長の直近の部長としてダイエー急成長に貢献した大川栄二(1924〜2008)は美術品の蒐集家でもあつて1988年に郷里にこの美術館開設。なか/\桐生まで足を運ぶなかつたが先日の朝日新聞にこんな記事あり。 大川美術館4年超の松本竣介アトリエ再現展示6月終了:朝日新聞 しかも長期的に取り組んできた松本竣介の企画展で最後の「デッサン50」は3月12日迄。その間だと今日しか来る機会なし。すわ桐生だが乗り鉄のアタシでも水戸から桐生だと水戸線で小山まではまだ良い…
雨は今日も降り続く。乗っている東海道線(東京~熱海)の下り電車が横浜駅に停車しようと減速した。並走する京浜急行の赤い電車は誰も乗せていない回送電車だ。私はこの写真の右方向へと走りもうすぐ停まる電車に乗っている。写真を撮ったときに赤い電車が停車していたのか、右へ走っていたのか左なのか、覚えていない。写真では赤い電車のすぐ左に向こうの道を歩く傘をさして立っている人が3人くらい写っている。写真のさらに左、中央より少し左にも傘をさして左へ歩いている人が写っている。私の乗っている15両編成の4号車はいま高架になっている高速道路の下をくぐろうとしている。写真は私が見ていたある一瞬の光景だが、電車とともに私…
ARTISTS' FAIR KYOTO 2022を見る。知り合いの現代美術作家から招待状をもらった。 35歳までの若い作家の展示会だけあって、盛況だった。 ただ、51歳の僕にはすでに見えている世界が違うらしい。会場の騒がしいさと展示の仕方もあってか、面白味はあっても伝わって来るものがピンとこない。 もちろん流行りっていうのもあるだろうけど僕にはそれに乗ることも出来ないし・・・・ていうか、この歳で追っかけようとも思わない。引いて眺められることが、歳をとる特権だもの。 会場を出てから、腑に落ちない何かを解消したくて、悶々と写真を撮り歩きながら道中、真鯛のラーメンを食べ、次いで「ドトール」で久々にモ…
日本精神史 近代篇 下 (講談社選書メチエ) 作者:長谷川 宏 講談社 Amazon 『日本精神史 近代篇 下』長谷川 宏著を読む。 下巻は、軍国ファシズム下から敗戦後、高度経済成長下を経ての「日本の美術・思想・文学を、人々の精神の歴史として描く」。感じたことなどをとりとめもなく、引用多めで。 〇『細雪』が「陸軍報道部の圧力で連載中止」となった。しかし、谷崎潤一郎は「ひそかに書きつづって」いた。「戦争の影をほとんどとどめない」ことは、作家として「戦争の時代に抗する」姿勢だと。 〇旧制中学時代に聴力を失った画家・松本俊介。そのため戦時下、招集されることもなかった。「負い目」を越えて「清澄かつ静謐…
【04月08日(月)】 これも元エースの足掻きでしょうかね。 今朝夢の中で外が大嵐になっているというものを見る事になりましたので。 やはり、虚無ミクをプレゼントされては報酬を返さないといけないからそれが困るという事でしょう。──────── 不乱健はキ○ガイ筒ことマジックシリンダーには気を付けないといけないという事でしょう。 何せ、初期ライフの半分以上を持って行かれるという事になりますので。 恐ろしい罠カードですよね。これのお陰で攻撃力がただ高ければ良いという事にはなりませんので。────────『縛られた大地の神』とか『地縛神』とかから、司馬遼太郎氏に加えて大地丙太郎監督も眷属だと判断するの…
MOTコレクション『歩く、赴く、移動する 1923→2020』。2023.12.10~2024.3.10。東京都現代美術館。 東京都現代美術館 美術館に行くときは、その時期に開催されている企画展を目的に出かけることが多い。 だから、常設展は、その鑑賞のあと、心身の余裕があれば見ることになる。だから、どうしても、気持ちの中で、ついで、といった感じがあって、東京都現代美術館ができた頃も、そんなふうに常設展を見ていた。 建物の隅っこに常設展の入り口があって、そこから歩いて入ると、現代美術の定義の一つといわれる1945年以降の作品が並んでいる。それは、確かに日本の美術の歴史であって、重要なのはわかるの…
ある一枚の絵を前にしてしばらく立ち止まり、食い入るように細部を見つめたり、逆に少し離れてぼんやりした目で全体を眺めたりしながら、ただ時間が過ぎていく。そうした刹那的で、それでいて限りなく充実した時間に抱いた自身の感慨を、言葉にすることはひどく難しい。僕の目は確かにその絵を見ていて、その絵と自分を繋ぐ線ーーそれは自分が絵に対して向ける視線、だけではなく、絵の方から自分に向けられる視線、でもあるーーの中で、なんらかの言葉が生起してくることを胸の内で感じてはいるのだが、それらは掴み取ろうとすると途端に形を変え、指の隙間から、するりとどこかへ逃げ出してしまう。あるいは、苦心して捕らえたと思った言葉を自…
(松本竣介作 Y市の橋) 11月に入って高校の同窓会が横浜駅近くで行われることになった。その少し前に何処かで私が好きな戦中、戦後すぐぐらいに活動していた画家の松本竣介という人の展覧会を見に行っていた。そこに展示されていた「Y市の橋」という絵があった。Y市は横浜市のことで、描かれていた橋は月見橋ではないかと言われている。少し早目に家を出て横浜駅に着いたので、この松本竣介が描いたらしい場所を廻ってみようと思った。 月見橋は空襲で焼けていて、松本はその前も後も描いているのだが、今ある月見橋とは姿が大分違っているかもしれないし、その当時は首都高もなかった筈なので見える風景は大分違っていたのかもしれない…
戦前戦中に若い画家や彫刻家、詩人などが集ったアトリエ村 “池袋モンパルナス”。その中には画家・寺田政明や詩人の小熊秀雄もいた。2022年12月に政明の子息である俳優・寺田農氏と岩手県立美術館の館長などを務めた美術評論家・原田光氏とのトークショーが行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます)。
今日は熊谷登久平の122歳の誕生日。 「熊谷明子さんをはじめ、丸井隆人さん、松山庭園美術館、太平洋美術会の協力を得て、㊗️芸工祭前半企画2023.10.4から10.15上野の森を巡る画家たち展開催いたします。 聞けば、芸工祭とは100年以上も続く谷根千地域をあげての歴史ある祭りだそうです。 今回は清水町(池之端四丁目)ゆかりの画家大河内信敬、望月春江、丸井金猊らをクローズアップに、上野不忍池の石碑のある長谷川利行、熊谷登久平から絹谷幸二のエピソード話、真島町にありました太平洋美術会会長の堀進一、朝倉彫塑館の朝倉文夫、木内 克らの彫刻家の活躍を紹介していきたいと思います。 皆様のご協力のもと、お…
盛岡観光の穴場スポット|盛岡市内にある博物館、美術館などをご紹介します。 岩手県立博物館 岩手県立美術館 もりおか歴史文化館 盛岡市子ども科学館 盛岡には、さまざまな博物館・美術館があります。その中から、特におすすめの博物館・美術館をいくつかご紹介します。 ●岩手県立博物館 岩手県立博物館は、岩手県の自然や文化を総合的に展示する博物館です。地質、考古、歴史、民俗、生物の5つの分野に分かれて展示されており、岩手県の歴史や文化を学ぶのに最適な施設です。 ●岩手県立美術館 岩手県立美術館は、岩手県出身の芸術家の作品を中心に展示する美術館です。萬鉄五郎、松本竣介、舟越保武などの作品を常設展示しています…
小林俊介「難波田龍起・松本竣介・靉光の油彩技法について」(『美術史』145号、1998年10月)。 はじめに 1 難波田・竣介・靉光の油彩技法―油彩の透明性を生かした重層的技法― 2 ルオーの影響―古典的重層技法の応用者として― 3 技法の背景―「生」の表出・イメージの生成― 〇難波田龍起(1905-1997)・松本竣介(1912-1948)・靉光(1907-1946)の油彩技法、材料、マチエールについて再検討する。日本近代美術史の研究においては、図像の比較に傾斜しがちであった。その理由は、黒田清輝以降の洋画において、イメージは多種多様であっても、技法的にはその多くが不透明な「プリマ画」であっ…
昼過ぎ、竹橋の国立近代美術館へ。平日なのにたいそう混んでいて、13時過ぎに訪れて当日券を買ったところ、14時からの整理券を取らされた。なんということだろう。毎日新聞ビルのカフェで時間をつぶしてから、また汗をかきながら美術館へ戻った。整理券の時間までは常設展には入ってもよいということになっていたようだが、常設展は常設展で時間を気にせずに見たいし。 ■東京国立近代美術館>ガウディとサグラダ・ファミリア展 1882年から造られ続けているサグラダ・ファミリア、もはや遺跡でもあるようだ 塔が林立する異様な外観のサグラダ・ファミリアだが、一番高いキリストの塔、次に高いマリアの塔をはじめとして、一つずつ名前…
小林俊介「近代日本洋画におけるルオーの受容―技法・表現の側面から―」(『ルオーと日本展 響き合う芸術と魂ー交流の百年』図録、パナソニック汐留美術館、2020年)。 梅原龍三郎ー「日本的洋画」の形成ー 三岸好太郎ーマチエールの多層性ー 難波田龍起、松本竣介、靉光ールオーからレンブラントへー 〇近代日本の洋画家におけるルオーや受容について、技法や表現の側面から考察する。対象となる画家は松本竣介(1912-1948)、靉光(1907-1946)、寺田政明(1912-1989)。そして三岸好太郎(1903-1934)、林重義(1896-1944)、鳥海青児(1902-1972)である。またルオーを日本…
〇日 猛暑が続くが、夕刻はシャワーではなく、 きちんと肩までつかって入浴。 ぬるめのお湯に身体を沈めながら、岡本太郎「原色の呪文」を再再読。 時折、本にお湯が飛び散ってしまう。 本棚の本がほとんどふやけているのは、 こんな読み方をしているから。 どの本も手垢にまみれ、端を折り、線だらけ。 読み込んで、ぼろぼろになれば、また、同じ本を買ってくる。 世のすべての中で最も怖ろしいの己れ自身である。 それ以外の何ものでもない。 あらゆる真実も愚劣も、己れにおいて結局が決定されるのだ。 対決する怖ろしさから、 とかく人々は己れ自身を避けてしまう。 そして、伝統! 自然! あるいは社会性!(いかにも美しい…
岩手県出身の彫刻家・舟越保武さん。 有名な作品には、田沢湖のたつこ像、長崎の26殉教者記念像、ダミアン神父などがあります。その舟越さんの作品の一つ、聖クララ像との出会いは20代の頃。画文集「巨岩と花びら」を読んだ時です。写真の聖クララ像、特にその瞳に、引き込まれました。切れ長の澄んだ瞳、悲しそうな目をしていると思いました。その時から40年近く、いつか実物を観たいと思い続けてきたわけです。舟越さんはアッシジのフランチェコ寺院で、一人の若い修道女を見かけます。雨宿りするその人の横顔がこの世の人とは思えないほど美しく、のちに舟越さんの中でその人が聖女クララになったと書いています。ただ、おかしなことに…
フランソワーズ・ジロー(抽象画家)が亡くなったというニュースを聞いた。101歳だった。常に恋の勝利者であったピカソを捨てた唯一の女性である。 40歳年下のジローだけはかろうじてピカソに一矢を報いてピカソの人となりをさらけだす書籍『ピカソとの日々』を出版し、ベストセラーになっている。ジローはピカソとの間に2児を設けている。ピカソが自らの神話を守るため、出版を妨害したこの本を読みたいと思ったが、手に入らなかった。 ピカソの女性遍歴は壮絶だった。付き合っていた女性が変わるごとに新しい画風が生まれている。しかしピカソの周りの女性は皆不幸になった。オルガ(ロシア貴族の末裔)は精神に異常をきたし、マリー・…