明治40年に販売された甘味のワイン 鳥井商店初の商品。
現在では「赤玉スイートワイン」と名称変更されて販売されている。
後に鳥井商店は、「赤玉(=SUN)」+「鳥井」→「サントリー」へ社名を変更する。
夢beansスタッフ おまめ 元高校英語教師現発達障碍の子供の能力開発をメインとするフリーランス教師及びメンタルカウンセラーコテコテの大阪人 『女性が元気なら子供は育ち国はもっと元気になる!』四半世紀の教師生活の中で辿り着いたこの答えをベースに2012年ブログ発信を開始。ブログに集まってきてくれた母たちと共に2017年アクセサリーショップ運営を開始。今に至る。身長173cmパーソナルカラー:ブルベウィンター 骨格タイプ:ウェーブパーソナルスタイル:ドラマチック *2021年10月22日以前のスタッフブログはこちら 愛しのみなさま、 メリークリスマス!!!🎄 いや~ 今年もやって来ましたね~って…
森見登美彦さんの「有頂天家族」(幻冬舎文庫・2010)という京都を舞台にした小説の中に弁天という登場人物が呑むものとして、赤割というお酒が出てきます。赤割は甘味果実酒(甘味ぶどう酒)の焼酎割で、存在を知ったのは物語に関係なく富山でのことで試しにやってみて、そのあと作品を読みました。 その作品の中で他にも赤玉先生という赤玉ポートワインをすする毎日を過ごす落ちぶれてしまった大天狗もでてきます。主人公は赤玉先生が残した赤玉ポートワインをすすって「哀しく甘い」という感想を持ちます。作品を読んだあとそれが気になって、それまで一度も舐めたことが無かったので「どんなものだろう」と赤割を作る際に必要な甘味ぶど…
子供の頃、赤玉ポートワインというのがありました。もちろんアルコールが入った酒なので、飲んだわけではないんですがね。親が寝酒に飲んでいたようなんです。 この赤玉ポートワインは、日本独自のもので、ポルトガルのポルト港から出荷される酒精強化ワインのポートワインとは全く異なるものです。 日本のワインの歴史、つまり明治期以降を見ていくと、赤玉ポートワインにぶつかります。明治の文明開花、殖産興業政策の一貫で、海外からブドウが多品種輸入されました。当時は、病虫害や結実不良などが頻繁にあり、大変な苦労をして輸入品種の栽培を行い定着させたと伝えられています。日本の土着品種の甲州や聚楽などのブドウ栽培は、江戸時代…
そろそろゴミシールの色が変わる、大使です。 さてさて、本日からしばらく名古屋シリーズ。 そうです、名古屋へ遠征です。 まぁ目的は一つしかないですが。 目的の時間までは自由時間。 よし、飲みます。 飲むしかありません。 そして私には強力な仲間がいます。 名古屋のお店紹介のプロフェッショナル。 その方が教えてくれた、いわば聖地巡礼をするわけです。 場所は名古屋市中区伏見。 大甚本店 であります。 驚きは明治40年創業という事。 1907年... キリンが創業した年、足尾銅山で暴動、義務教育6年生開始、サントリーが赤玉ポートワインを発売... 本当にためになるブログです。 のんちゃん久しぶり! 一年…
さて、先日、茨城県は牛久市に行ってきた。 small-editor.hatenadiary.jp 牛久シャトーで、色々学んだわけだが、私自身は牛久シャトーを始めた神谷傳兵衛氏を知ったのは、東京は浅草の神谷バーでだったのだが、神谷バーで代表的なお酒、電気ブランを飲んだのは言うに及ばずだが、もう一つ神谷バーで好きだったのがハチブドー酒だったのだ。 牛久シャトーは日本産のブドウで、日本産のワインを醸造していたのわけだが、神谷氏はそれに先だって輸入ワインを販売していた。輸入ワインに甘みをつけて、売っていたようで、明治14年に発売されてから一世を風靡したのが「蜂印香竄葡萄酒」であったそうだ。ハチブドー酒…
仕事してきたのだが、これがあと3日続くのかと思うともう。 2日ばかり連帯戦周回ができなかったもんで、現在変な玉は34000ちょっとですが、たぶん正月休みの間に呼吸するよに周回してると思われます。 そうか、後家兼光、お前は長船だったのか。道理でホストみたいだなと思ったら。 「長船はみんなホストじゃないよ! 」(廊下の向こうの給湯室から苦笑いで顔を出すみっちゃん) みんなとは言ってない。謙信君はジェントルメンだからね。ちっちゃくてかわいいけど紳士なのよねあの子。 明日は帰りに銀行と郵便局寄って、お年玉用意して、ラスト2日で酒とつまみの用意して、これで連隊戦に集中できるな。よし。 私はなにを買うべき…
やってみなはれ みとくんなはれ (新潮文庫) 作者:瞳, 山口,健, 開高 新潮社 Amazon ~文庫版の裏表紙から~ サントリーの創始者・鳥井信治郎は赤玉ポートワインで成功し、日本初のウィスキー製造に挑戦。戦後、息子の佐治敬三は父親の精神でビール市場に参入。宣伝部出身の作家が描く「幻のサントリー社史」は、ベンチャー精神に満ちた企業の歴史を記している。
サントリー社名の由来 サントリーの名前が最初に現れたのは、昭和4(1929)年4月。創業者・鳥井信治郎が本格的な国産ウイスキー第一号に「サントリーウイスキー白札」と名づけました。「サントリー」の由来は、現在のサントリーの前身「寿屋」の土台を築いた赤玉ポートワイン (明治40年発売、現在の赤玉スイートワイン)の「赤玉」すなわち 太陽(サン)の下に自分の名前・鳥井(トリイ)を結び付けて命名したものです。昭和38(1963)年、 サントリービール発売の年に、社名を「寿屋」から 現在の「サントリー」に改めました。 このCMの最後に言うサントリーって発音に違和感がありすぎる SUNは英語でトリーは日本語…
東宝映画の「見事な娘」(1956年、司葉子主演)を録画して、今もたまに見返している。東京が舞台だが、大阪市が出てくる。「城東区蒲生町○○○番地」を司が通行人に尋ねる。鯰江川(道路になっている)を渡る蒲生橋が舞台だ。蒲生橋はどんな橋か。映画によって具体化された。水管(本管らしい)が横に架かっている。北詰の民家の壁に看板が見える。 ↑蒲生橋の欄干 福本歯科医院、岡村鉄工所、大黒堂、スカウト製菓(ボーイスカウトの絵)が掲示されている。そこを司葉子が北から南詰まで歩く。鯰江川の南岸に地蔵尊の甍が見える。また、ラーメン屋の屋台もある。遠方には煙突が何本も見える。そして、大阪城が東方に、東に位置している。…
No.3207【レトロスペクティブ】子供でも飲めるワイン「赤玉スイートワイン」 たまにフランス料理を食べに行っても、ワインを注文せず、ジンジャーエールかペリエにしている。あまりワインが好きではないし、同伴女性がワイン好きなら付き合う程度だ。 純粋なワインではないかも知れないが、家には常にサントリーの赤玉スイートワインの赤を買い置きしている。たまに肉料理を作る時はこれで飲むのが美味しい。赤玉スイートワインは、サントリーが1907年に赤玉ポートワインの名で発売したもので、1973年に赤玉スイートワインの名前に変更された。おれが小さい頃は赤玉ポートワインで購入していた。味は貴腐ワインのように甘く、少…
スギ薬局で購入させていただいたスペインの赤ワインですね。旨安対象やれエライ専門家が90点つけていたり、スギ薬局もプッシュしている感があったので購入してみました。 あー、これブラインドで出されたらイタリアのアマローネとか何かしらのアパッシメントとか言っちゃいそう。香りがもう甘くて果実感というかバニラ感というか乳臭さというかそんなニュアンスモリモリです。それでもちょっとの牧草のニュアンスがあり青みも感じますね。 飲むと甘い果実感がふんだんに来ますね。赤ワイン初めて飲むならコイツは間違いなくいいと思います。果実の糖の部分の濃さ、濃さを支えるタンニンとほんのちょっとの酸はなかなかに赤ワイン沼に陥れたい…