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藤川球児

(スポーツ)
ふじかわきゅうじ

プロ野球選手(投手)。背番号30→92→22→11。
1980年7月21日生。高知県高知市出身。183cm77kg。右投左打。
高知商業→阪神タイガース(1998年ドラフト1位)→シカゴ・カブス


高校2年時に夏の甲子園に出場。兄・順一との兄弟バッテリーで注目を集めたが、二回戦で川口知哉投手(元オリックス)擁する平安高校に敗れる。
1998年ドラフト1位でタイガースに入団。タレントの広末涼子と中学時代の同級生だったことも話題になった
この時、「十年後にはタイガースは三回位優勝していて、自分は胴上げ投手になっている」と発言したが、現在では優勝も繰り返し、抑えとして胴上げ投手になることが現実味を帯びている。
入団2年目の2000年に初登板、2002年9月に悲願のプロ初勝利を挙げている。
ちなみに、松坂世代で最初の妻帯者でもある。

2003年、対巨人戦で9回二死から登板し6点差を追いつかれ、その後結局引き分けたと言う苦い経験がある。
しかし2005年には80試合という最多登板記録を更新。防御率は1.36とJFKの中核を担った。
2005年、グラブには「本塁打厳禁」の刺繍があった。
2006年は、抑え投手である久保田投手が右手骨折によりシーズン途中で離脱したため、藤川投手が抑え投手に転向している。

登板時は直球勝負が基本であり、変化球はほとんど投げないのが特徴。
これは2005年に清原和博選手(当時巨人在籍)と勝負した時、最後はフォークボールで三振に打ち取った。
しかしプロ通算500本塁打に迫っていた清原は、この投球に「あの場面でフォーク? チン○○ついとんのか。」と逆ギレ。
このとき藤川は直球を磨くことを決意しており、のちに藤川-清原の再戦があったがこのとき藤川は清原を直球勝負で三振にしとめ、清原は「完敗」したというエピソードがある。

2012年オフ、FA権を行使してMLBのシカゴ・カブスへ移籍。

リスト::野球選手

主なタイトル

最優秀中継ぎ投手(2005年):53HP
最優秀中継ぎ投手(2006年):35HP
最優秀救援投手(2007年):46セーブ

プロ野球記録

シーズン最多登板(2005年*1):80試合
シーズン最多ホールド(2005年):46ホールド
シーズン最多セーブ(2007年):46セーブ

*1:当時。2007年現在は久保田智之の90試合

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