日本の革新政党のひとつ。
英文表記:Japanese Communist Party
科学的社会主義を理論的な基礎としている。
1922年にコミンテルンの日本支部として創設されるものの、当時は治安維持法などのため非合法状態に置かれ、厳しい弾圧を受る。
終戦後は、合法政党として再建されるが、1950年、コミンフォルムに平和革命路線を批判され、徳田球一に代表される「所感派(武闘派・主流)」と「国際派(反武闘派)」に分裂する。
その後所感派は国際派の多くを除名し、51年綱領を採択し武装闘争路線を取る。
この51年綱領の元で「中核自衛隊」、「山村工作隊」等の武装組織が作られ、「栄養分析表」などのゲリラ戦教本を製作する。
武装闘争路線は熾烈を極め、全国各地で米軍基地、警察署、裁判所などを襲撃。1951年12月には印藤(伊藤)巡査殺害事件、1952年1月には北海道で白鳥警部殺害事件などを起こしている。
当然、こうした武装闘争路線は国民の支持の離反を招き、多くの離党者を出した。また、1952年に行われた第25回総選挙では、日本共産党の公認候補がすべて落選。党勢の著しい衰えが目立つ結果となった。
1955年、これまでの武装闘争路線を極左冒険主義として自己批判し、武装組織を解散、穏健路線に転向。これにより「国際派」の宮本顕治が実権を握る。
その後日本共産党は幾つもの派に分裂するが*1、現在もっとも勢力の大きい代々木系はこの流れを汲んでいる。
また、日本共産党は政党交付金を憲法違反の制度だとして、
日本の政党の中で唯一受給を拒否している。
現在の思想信条は反新自由主義・脱原発・上げ潮派という形で行っている。反戦・反核である。しかしながら近年、市井レベルでは創価学会や在日外国人周辺の人間との交わりが非常に多い様であり、色々と怪しい状況にある。
また、日本共産党は労働者に対して労働組合を積極的に作るよう促しているが、労働組合には積極的に関わりを持ち、それら組織を政治的な動員に用いたりもする側面を持っている。
なお、労働問題については労働組合関係以外については積極的に動いているとは言い難い状況が続いており、「庶民の暮らし」を叫びながらもブラック企業の是正に動かないなど何ともおかしな状況が存在している。
機関誌としてしんぶん赤旗を発行している。
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