日本の戦国時代における宗教一揆の1つ。日蓮宗側では「天文法難」と呼び、一般には「天文法華の乱」とか「天文法乱」とも呼ばれている。1532年に勢力を拡大させていた京都にある一向宗寺院を細川晴元とともに日蓮宗の門徒達が攻撃。この後、日蓮宗門徒は京都市中の警衛などにおける自治権を得て、地子銭の納入を拒否するなどの権利を得て勢力を拡大させた。しかし、1536年7月、天台宗比叡山の僧兵集団が日蓮宗の門徒撃滅へと乗り出し、京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山はことごとく焼き払われた。以後、京都において日蓮宗は1542年まで禁教となり、日蓮宗徒は京都帰還を許す再勅許が下るまで洛外へ追放された。