そして運命の日、1536年7月23日。その夜、みやこの人々は東にある叡山を遠望し、恐怖におののいたことだろう。山中に無数の篝火が焚かれ、蠢いている。そしてその火は、列となって一斉に山を下りてくるではないか。みやこを襲わんと、松明を手に下山する叡山の大軍勢である。 追い詰められた法華宗徒たちも、総力を結集する。何とかかき集めた軍勢は2万ほど。みやこの東側に陣を構え、山法師らを迎え討つ構えを見せた。翌24日から、御霊口辺りで小競り合いが始まる。この時に攻めてきたのは、主に叡山の僧兵どもだったようだ。25日にも東河原において合戦があり、京勢がよく防いだことが記録に残っている。 法華宗徒も必死なのだ。…