本因坊とは、囲碁の棋戦の一つである本因坊戦に優勝した棋士に贈られるタイトル。 江戸時代の囲碁の家元4家の一つであった「本因坊家」にちなむ。 1938年、二十一世本因坊秀哉が引退した際、その名跡を日本棋院に譲渡し、家元制から実力制に移行することとなり、1941年に第一期本因坊戦が開催され現在まで続いている。
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1940年
はじめに 広島県尾道市の因島は、幕末ごろに活躍した天才囲碁棋士「本因坊秀策」の出身地です。 囲碁マンガ「ヒカルの碁」にも登場する人物で、主人公のヒカルに取り憑いた平安時代の天才棋士藤原佐為が、江戸時代の本因坊秀策にも取り憑いていたということです。 今は天才棋士といえば将棋の藤井聡太さんが注目されていますが、囲碁界には史上初の七冠を独占した井山裕太名人といった天才がいます。 「本因坊秀策」も歴史的な天才棋士であり、彼の出身地である因島には「本因坊秀策囲碁記念館」があります。 本因坊秀策囲碁記念館 「幽玄」の間の再現セット 日本棋院にある特別な対局室「幽玄」の間の再現セットです。 掛け軸の「深奥幽…
第34期竜王戦七番勝負で藤井聡太三冠が4連勝し、竜王のタイトルを奪取した。史上最年少の19歳3か月で四冠を達成した藤井新竜王は、棋士の序列を示す席次でも1位となった。 日本の将棋の歴史に刻まれる出来事を機に、日本の将棋1000年の歴史を振り返った。 読売新聞オンラインのコラム本文 ↑読売新聞オンラインに読者登録すると全文読めます シンプルになって公家から武士、庶民へ 日本独自の「再利用」で高度な頭脳ゲームへ 芸事となり家元制へ 碁打ちは将棋指しを兼業していた 実力主義、安易な世襲は許されず 日海の本能寺の対局で起きた珍事 シンプルになって公家から武士、庶民へ 将棋の歴史を振り返ると、好敵手の名…
【井山裕太の本因坊十連覇について】 7月6日・7日に行われた第76期本因坊戦第7局にて、井山が白番中押勝ちを収めて、通算4勝3敗で本因坊を防衛した。これで本因坊十連覇である。 個人的には「ああ、やっぱり最後に勝つのは井山か」くらいの感想しかない。 本局の中盤で黒(虎丸)がはっきり悪くして、白の大石を取らない限り黒が勝てない展開になってしまった。最終的にはコウ争いになったが、これは白の花見コウなので、黒は争えずに投了した。 井山は今年で32歳。あと5,6年は、棋戦を絞りながらタイトル戦でのトップに居続けることが出来るだろう。おめでとうございます。 ↓これが終局図。白が180手目(△)と打ったとこ…
【 立花隆が死去】 彼の死が報道されたのは6月22日だが、実際には4月30日に死去したらしい。私は「日本共産党の研究」しか読んでないが、「よくこんなに資料を集めたなあ」といういんしょうがある。 彼はいろんな本を書いて「知の巨人」と言われたらしいが、この呼び名に対して本人はどう思っていたのかなあ。 【本因坊戦第5局は井山の勝ち】 6月21日・22日に行われた本因坊戦第5局は、井山が218手までで白番中押勝ちを収めた。これで井山の2勝、虎丸の3勝である。 下辺の白石を捨て石にして右辺黒一団に襲い掛かった黒(虎丸)のダイナミックな打ち方もすごかったし、右辺コウ争いで局面を複雑化してから黒のミスを誘っ…
これがなかなか難しい。 ここに本因坊という塔頭があり、碁に傑出したお坊さんがいて、本因坊算砂と名乗り家元のようになったらしい。