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カンディンスキー

(アート)
かんでぃんすきー

:芸術家

ワシリー・カンディンスキー (1866年-1944年)
ロシア人、モスクワで生まれる。
1909年『ミュンヘン新芸術家協会』を設立してその会長になるが、その急進的な作品と芸術観のために、一部の会員の抵抗によって彼の作品が第3回展で落選した。そのため彼はその場で脱会を告げ、ただちに別の展覧会を組織し、『青騎士』(デァ・ブラウエ・ライター)編集部主催第1回展としてタンハウザー・ギャラリーで開催した。青騎士は極めて短命な運動であったが、彼はその中で抽象芸術を開拓していった。
1917年西欧からロシアに帰った彼は、モスクワ芸術文化研究所の設立に協力し、美術学校の教授や絵画文化美術館館長に就任する。しかし、ソビエト政権に失望した彼はドイツに向かい、1922年バウハウスに招かれ、1933年バウハウスが閉鎖されるまで残った。バウハウス時代の絵画は、有機的な抽象にかわる幾何形態を用いた『コンポジションの時代』、『円の時代』にあたり、バウハウスの構成主義的な傾向からの影響が強い。しかし、バウハウスは 1933年ナチスによって閉鎖されることになる。
そして、彼はパリへと亡命することにより、ミロやダリなど多くの前衛を志す美術家に出会い、互いに刺激を与え合うことになる。この最晩年のパリ時代は『偉大な綜合の時代』と呼ばれ、『縞のある』などの作品に見られるように、彼の独自の有機的な形態が加わり、また画面の分割構成の試みと新しい色彩の世界への関心を見せている。
そうして彼は最後まで抽象絵画の論理を追い求め止まなかった。

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