4巻冒頭では、夏目漱石の描いた「淋しさ」を「個人化」と読み解き、敷衍するようにしてぼっちの肯定をします。ぼっちを肯定すること自体は、これまで見てきた通りに反復的と言っていいでしょう。孤独は「個人の精神性」を表し、文学的に内面としての「淋しさ」は当然のものとなったとするように「個人化」=ぼっちの主張を繰り返す。もはや「個人の精神性」がデフォルトとなり、人はそれぞれの内に「淋しさ」を抱えています。それぞれの個人的な問題として。 「個人化」を経た人と人との「分かり合えなさ」はコミュニケーションを通して、相互に隔てる虚無的かつ絶対的な距離を「命がけの飛躍」という「賭け」がその都度行われていきます。非対…