第二次世界大戦で対日参戦したソ連が、投降した日本軍の兵士をシベリア等で強制労働に従事させた。
スターリンが、トールマンとの交渉で北海道占領を叶わなかったため、その代わりにこのシベリア抑留に踏み切ったといわれている。
抑留者は約57万人におよび、強制労働と栄養失調などから、5万人以上がロシアで死んだとされる。
1950年までにその大部分が、主に京都府舞鶴市から帰国している。
このシベリア抑留をテーマに取り入れた文学作品に、山崎豊子「不毛地帯」がある。
2010年、シベリア特別措置法案が可決され、抑留者にたいしてようやく政治的補償がなされることとなる。