慶長三年五月十五日(西暦1598年6月18日) 満州国が登州に侵攻して1か月。 その間|李化龍《りかりゅう》は敵の動きを警戒しつつ、防衛線の強化を図ってきた。しかし、事態は彼の予想以上に深刻な展開を見せている。「総兵大人! |沙門島《しゃもんとう》に敵の本隊と思われる援軍!」「なに? 数は?」 明軍は威海衛に五千、登州城に一万五千の兵を配置していたが、|芝罘島《しふうとう》からの満州国軍の防衛のために五千を割り当てていた。 兵力の逐次投入は兵法において愚策とされている。 逐次投入した軍は、個別に撃破されてしまうからだ。 寡兵が大軍に対抗する際の戦術の一つに、敵軍を分断して撃破する方法があるが、…