慶応三年一月八日(1867年2月12日)喜望峰沖 荒れ狂った嵐は二日後には収まり、何事もなかったかのような晴天である。日本艦隊は旗艦『知行』を中心に、洋上に停泊していた。 ・大村藩海軍旗艦『知行』 ・同型の二番艦『大成』 ・同補給艦三隻 ・幕府海軍『富士山』 ・同補給艦『神速丸』 ・薩摩海軍『翔鳳丸』 ・長州海軍『|壬戌《じんじゅつ》丸』 ・佐賀海軍『|孟春《もうしゅん》丸』 ・土佐海軍『南海丸』『大鯨』と『神雷』の姿はない。「各々方、『大鯨』と『神雷』のえい航索切断はそれがしの判にございました。二隻は小舟ゆえ、漂流となりましてございます」 次郎は苦痛を押し殺している。 あの決断が本当に良かっ…