現代の風景を眺めていると、奇妙な「不自然さ」に突き当たることがあります。 かつて、成人への階段を上る象徴であり、生命が子を成せる準備が整ったという動かしがたい指標であった「体毛」が、いまや執拗に排除されるべきノイズとして扱われていいます。 ちょっと尾籠な話ですが、かつてアダルトビデオがまだVHSだった時代、無毛という状態は一つの「記号」であり、特殊なアイデンティティでした。わざわざそうですよ、と書いてそれが宣伝になった時代です。 そこには日常には存在しないファンタジーとしての希少性があり、ある種の「アレンジの妙」としての背徳的な美学が宿っていたようにおもいます。 しかし、いまや猫も杓子も、なん…