渡辺仁は名前さえも知らなかったが、ブルーノ・タウトの方は、名前と桂離宮をべた褒めしたことの2点だけは知っていた。 建築家としてのタウトに関しては、知識が無かった。 太平洋戦争を前にした不穏な時期にドイツから来日して、「二ホンの桂離宮、スバラシイね」的な発信をして、日本人の自尊心をくすぐった人物で、明治期のフェノロサみたいな美術史・建築史家というポジションだと思っていたのだ。 言い訳をさせてもらえるなら、この辺は、来日後に、タウトが望むような仕事が得られなかったことで、それこそ旧日向家熱海別邸が日本に残された唯一の建築物だという事情も影響しているのではないだろうか? ジョサイア・コンドル、ウィリ…