ドイツの男性作曲家、ピアニスト。ルートヴィヒ・ヴァン・べートーヴェン、Ludwig van Beethoven。
1770年ボン生。1827年ヴィーン没。
古典音楽の集大成、聴覚を失いながらも革命的な音楽を次々に生み出し、ロマン主義音楽の先駆を成し遂げた芸術史上の巨人として、楽聖と尊称される。
日本語表記では簡略的にベートーベンとも。発音としては「ベートホーフェン」「ベートホッフェン」が理想的。
年譜
- 1774年 ピアノ演奏教育を受け始め、才能を現す。
- 1776年 ケルンで演奏会を行い注目を集める(この演奏会の折の新聞広告は、ベートーヴェンの実年齢を2歳若く偽っていたとされ、このため彼は40歳に至るまで自分の正確な年齢を知らずに過ごす)。
- 1779年 宮廷オルガニストのネーフェについて本格的な音楽教育を受け、J.S.バッハの作品にも触れる。
- 1784年 ネーフェの助手として宮廷オルガニストに就任。
- 1787年 ヴィーン旅行。「ドン・ジョヴァンニ」作曲中のモーツァルトを訪問し、その賞賛を得たとされるが、母病気の報に接し帰国、その教授を受ける機会はなかった。直後に母病没。
- 1792年 ボンを訪問したハイドンの激励を受け、ヴィーンに定住。ハイドン、サリエリ等に師事。父病没。
- 1795年 「3つのピアノ三重奏曲」(Op.1)を発表。以後次々に作品を発表。
- 1798年 耳疾の悪化を自覚。
- 1801年 「2つの幻想曲風ピアノソナタ」(Op.27)を出版(「月光の曲」の俗称を持つ嬰ハ短調Op27-2を含む)。「ハイリゲンシュタットの遺書」執筆。
- 1803年 「ヴァイオリンソナタイ長調」(Op.47)を完成。
- 1804年 「英雄交響曲」(Op.55)を完成。ナポレオンに献呈すべく手続きを取るが、直前に翻意する。
- 1806年 「ヴァイオリン協奏曲」(Op.61)完成。
- 1807年 「ピアノソナタヘ短調」(Op.57)を完成。
- 1808年 交響曲第5番(Op.67)、第6番(Op.68)を完成。「傑作の森」と称される一時期を画す。
- 1812年 「ピアノ協奏曲変ホ長調『皇帝』」(Op.73)初演。「不滅の恋人」への一連の手紙が執筆されたとされる。
- 1814年 オペラ「フィデリオ」(Op.72)最終形初演。
- 1819年 甥カールの後見問題勃発。作曲活動停滞を来す。
- 1823年 「荘厳ミサ」(Op.123)完成。
- 1824年 「交響曲ニ短調」(Op.125)完成初演。
- 1827年 肝硬変のため死去。
- 1867年 「バガテルイ短調」(エリーゼのために,WoO.59)出版。
その作品は9つの交響曲、16の弦楽四重奏曲、32の作品番号付ピアノソナタなどの他、管弦楽、オペラ、声楽、宗教曲等の幅広い分野にわたっている。なお「第九」は俳句の季語にもなっている。
生涯悩み続けた耳疾の実情については「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」ISBN:4757140061 に詳しい。病因については、先天性梅毒の疑いが指摘されている。
創作的内容の映画「不滅の恋 ベートーヴェン」("The Immortal Beloved")で、その傍若無人ぶりが描かれたが、実際のベートーヴェンは真摯な友情、細やかな愛情を重んずる人だったと言われる。そのため、彼の身辺には生涯を通じて恋人や異性の友人が絶えたことがない。
最近になってアヘン中毒だった疑いが出てきている。