「文命西堤碑」の説明板 文命西堤碑 酒匂川は、宝永四年(一七〇七)の富士山大噴火による降灰のため河床が埋まり、岩流瀬・大口付近は大水が出るたびに堤防が決壊し、周辺の農民たちは甚大な被害を被った。このため、荒川・多摩川の治水工事を手掛けた川崎宿名主田中丘隅は、幕府の命により享保十一年(一七二六)荒れ果てた酒匂川の改修工事の指揮にあたった。 丘隅は、弁慶枠や蛇籠に石をつめ、その一つ一つに僧侶が陀羅尼経を読んでから川岸に積み上げ、堤が完成するとその上に中国の水神である禹王の廟を祀った。禹王の別称が文命であることから「文命堤」と言われ、川の東西で西堤(岩流瀬堤)と東堤(大口堤)とう呼ばれている。 この…