1959年千葉県生まれ。特撮・怪獣物の造形作家。 雑誌編集などの手伝いの傍ら造型に手を染め、1982年、レインボー造型企画(株)に入社。東映などのテレビ番組のキャラクター造型に数多く関わった後、1986年に独立・フリーに。 1989年、(株)ビルドアップの設立に参加、同社造型部門担当を経て1994年、(有)ヴィ・ショップを起こし、映像企画のキャラクター造型・特殊衣装のほか、玩具企画、原型を担当。
【ゴジラと自衛隊 (2)】 ユニークなのは、ゴジラ出現に備えて防衛庁(当時)が警戒体制をを敷いているところ。
【ゴジラについて】 品田「ゴジラ自体(の造型)は安丸(安丸信行)さんと小林(小林知巳)さん」 大森「つくったときに来いと言われたけど、おれが行ってもな」 品田「(『ゴジラvsビオランテ』〈1989〉は)安丸さんに出してる(発注している)最後のゴジラです」 大森「顔を小さくしてるあのフォルムは、川北(川北紘一)さんがアイディア出したと」
【ビオランテと特撮現場 (2)】 品田「特撮のコンテが出なくて、ひどいときは当日の朝出る。(後半で)ゴジラをぶっさすというのは前日出て、太い鉄筋を尖らせて周りに蔦を巻きつけました。現場は秘密主義で、スチールも少ない。戦略もありましたけど、コンテやデザインが上がるのも遅かった。出来上がるまでみんな、大丈夫かなという顔してました。
【田中友幸プロデューサーの想い出 (2)】 品田「あの5年で友幸さんはすごくお年を召した感じ。84ゴジラ(『ゴジラ』〈1984〉)では矍鑠とされてたけど、『ゴジラvsビオランテ』(1989)では杖をついていました」
ゴジラの日本襲撃から5年後。万能のゴジラ細胞をめぐって各国が争奪戦を繰りひろげる中で、ひとりの科学者が亡くなった娘の細胞とゴジラ細胞とを秘かに融合させていた。
【特撮のエピソード (2)】 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)の前半では箱根・大桶谷にてバラゴンとゴジラが戦う。
【本編の撮影現場】 仁科貴氏は金子修介監督『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)にも出演していた。
太平洋戦争の怨霊を背負って日本を襲撃するゴジラ。謎の老人によって眠りから覚めた護国聖獣モスラ・キングギドラ・バラゴンが、ゴジラを迎撃する。