正徳5年4月11日。少し前、市買(市谷)煙草所で藤田左門の火事頭巾を津田民部が所望する。見世物にはせずと云々。民部の挟箱に左門が腰をかけたのを民部に詰問され、左門は足で蹴りつけた。民部は怒って左門にこれから状で申し入れると云々。加藤伴左衛門が仲介し、帰ってから伴左衛門は左門のところへ行ってなだめ、その夜には伴左衛門のところへ民部・左門、その他に御先手2人を呼び、仲を取り持つ。このことを名古屋では左門と伴左衛門が喧嘩したともっぱら話していた。特にその頃伴左衛門は屋敷替えで道具などを運んでいるのを見て、そうら屋敷を空けているいろいろ話していた。世の中では厳しい飢餓。常滑の側のたん(多屋)村では61…