仏法を求めていた人が、ある日こう言い始めることがあります。「どうせ信心決定できないなら、費やしてきた時間もお金もムダだった」と。 この気持ち、分かる気がしませんか?でもこれは、「最も大切なことを誤解している」ということになります。 仏法を長く求めてきた先輩が、ある日やめてしまった。あんなに頑張っていた人でも信心決定できなかったなら、自分にはとても無理そう思って、自分も離れていく。 でもこれは、仏法を「学力や経験を積み重ねて到達するもの」と勘違いしているから起きる誤解です。 信心決定は、自分の努力で勝ち取るものではありません。阿弥陀仏の本願によって、一念でいただくものです。先輩の学識や経験の量は…