現代詩人、批評家。 1931年(昭和6年)2月16日、生まれ。2017年(平成29年)4月5日、死去。 詩集『記憶と現在』や評論『紀貫之』で名を馳せる。 1979年より、朝日新聞で『折々のうた』という連載を持っており、日本の詩壇・歌壇をリードする人物の一人、と言えそうだ。 変わったところでは、アメリカの現代詩人、ジョン・アシュベリーの翻訳(米文学者との共訳)も行っている。
神奈川近代文学館で開催されている「大岡信展」のイベントとして、土曜日(5月10日)に詩人によるトークショーがあった。登壇者は、岡本啓さん、マーサ・ナカムラさん、水沢なおさんの3人の詩人。それぞれ、1983年生、90年生、95年生。岡本さんはH氏賞、萩原朔太郎賞、3人とも中原中也賞を受賞している。ただ、この3人が選ばれたのは(ナカムラさんからの声がけもあるだろうが)、大岡信さんが創設した「しずおか連詩」に参加したことがあるからだ。 名前はどこかで目にしているはず。しかし、3人の作品を意識して手に取って読んだことはない。文庫本で出会う詩人はすでにビッグネームが多い。じゃあ、今時の詩人ってどんな感じ…
神奈川近代文学館の展示「大岡信展 言葉を生きる 言葉を生かす」に行ってきた。桜の満開にはやや早いと思ったが、好天の日曜と重なったためか桜の写真を撮る人があちこちにいた。とはいえ、文学館への来場者はそうでもない。いつもより落ち着いた館内だったが、逆に来ている人は熱心な多いように思えた。 大岡信さん。2017年に亡くなった日本を代表する詩人だが、谷川俊太郎さんや茨木のり子さんのように一般の人に身近な作品はなかったように思える。展示では分かりやすい実直な作品も紹介されていたが、難しいものを書く人と勝手に思いこんでいたようだ。評論や批評という形で出会うことが多かったからだろう。日本経済新聞が彼の訃報で…
本日も読書は中村稔「私の昭和史」を読んでいました。 このように記しましたら、いかにもページを稼げたように聞こえますが、 やっと100ページに届くかというところです。明日での読了は無理であります ね。 中村さんの「昭和史」でありますが、中村さんの自伝ともなっていて、あち こちに家族のエピソードなどがちりばめれています。 中村さんが結婚される時に、中村さんの両親に受け入れられなかったとか、 結婚にあたって後に夫人となる女性から、いくつかの注文があって、その時に 中村さんもお願いをしたとかであります。 「和子は私に、彼女の信仰を妨げないこと、子供が生れたら幼児洗礼を受け させるのに反対しないこと、を…
このごろは、夜明け前の東の空を見上げるのが楽しみだ。明けの明星(金星)が輝いているからだ。「いつせいに春の星座となりにけり」(黒田杏子)という句がある。今日は立春。この日が来ると、黒田の句のように昨日までは冬の星座だったものが、今日からは春の星座へと変化し、明けの明星の輝きも春の足音を告げてくれるように思えるのだ。 先日まではこの星の近くに、三日月が見えた。夜明け前の空を競うような輝きに、寒さを忘れて見入ったこともある。2月は一年で一番寒い季節だ。山形の友人が送ってきた自宅周辺の風景の写真を見ると、丈余の雪が積もっていて、とても春の足音が聞こえる状況ではない。しかし私の住む千葉周辺では紅梅に続…
ものの本(ある事柄に関することやその方面のことについて書かれた本)によりますと、「時雨」の季節は、『万葉集』(7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された、現存するわが国最古の歌集)のころは秋と捉えられていたそうです。その後、都が奈良から京都に移ってから作られた『古今和歌集』(平安時代中期の勅撰和歌集)のころからは次第に冬という季節に考えられるようになり、俳句でも現在は冬の季語になっています。今年は7日が立冬でした。天気予報では今夜(8日)あたりから時雨が降りそうです。いよいよ冬なのですね。 《冬のはじめ、晴れていても急に雨雲が生じて、しばらく雨が降ったかと思うとすぐに止み、また降り出すというこ…
詩作をするほどではないが、詩をよむのは好きな方だ。谷川俊太郎、田村隆一、茨木のり子、西脇順三郎、鮎川信夫に、最近ハマった草野心平などなど。これらの詩人の名を聞くと、代表作のタイトルや詩の一片くらいは浮かんでくる。ところが、大岡信となると、彼のコラムの「折々のうた」が頭に浮かぶだけで、彼の作品や詩を知らないことに気づく。作品を読んだのは評論やアンソロジーだけだ。 岩波新書で「大岡信 架橋する詩人」という彼の評伝が出ていたので、買ってみた。著者の大井浩一さんは毎日新聞の編集委員だそうだ。大学を出て、読売新聞に入社した大岡信さんが、その後、朝日新聞で「折々のうた」を連載して、没後、毎日新聞の記者が評…
死にたくはないかと言へば これ見よと 咽喉の痍(きず)を見せし女かな 積読本の拾い読み。その面白さは、例えばこんな短歌と出会えることです。なんとも大人の世界。これを名品とは言わないけれど、ちくりと刺さったりして(わたしだけ?)。 ちなみに、この歌が詠まれたのは明治の終わりごろ。出てくる「女」は、釧路の芸妓・小奴。石川啄木「一握の砂」にある歌で、何首かこの「女」が詠まれています。ちなみに啄木はこの時、妻子ありの既婚者。単身赴任中に小奴と深い仲に...。 えっ、啄木が?。あの抒情詩人の?。そうなんです。 啄木といえば 働けど働けど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る や 東海の小…