日本の江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉。江戸四大飢饉の1つで、江戸時代最悪の飢饉であった。悪天候や冷害、岩木山や浅間山の噴火などによる農作物の不作による飢饉であった。また、1783年のアイスランドのラキ火山の噴火などが原因とされる世界的な異常気象も飢饉の原因の1つとされている。
ルフィ、キム、桃太郎、、21世紀の犯罪ですね。実名だけにした方がよいのか、容疑が固まるまで、通称でもよいのか。 宮台氏の襲撃事件は、犯人死亡で、動機は、闇のなか? ものは盗っても、人は傷つけるな!盗るのもよくないのはいうまでもないが、そこに大きなボーダーがあるのは忘れないで欲しいのですが、、、。 先日、天明の打ち壊しの番組を見ました。NHKはさりげなく政治批判をタイムリーに報道します。「どうにも止まらないインフレ、」「助けてくれない」「新政権誕生」? 今はまだ4倍にはなっては、いないとも読めますが、、、。 「天明の打ちこわし 怒りの抗議が世を変えた!」(NHK「英雄たちの選択」2/1) <米の…
角銭こそは天明の飢饉の遺子である。 人心も、治安も、経済も――あの空前の凶作以来、すべてが堕ちた。 東北地方、特に津軽のあたりでは、野良着姿の百姓までが、蔬菜の出来を語るのと何も変わらぬ顔つきで、 「老人の肉、死人の肉は不味くてかなわん。ぱさぱさしていて味がない。ちっとも力がつく気がしない」「喰うならやはり、女子供か。味が濃くて柔らかだ」 カニバリズムの品評を交換し合ったほどである。 こういう異常な体験は、もちろん長く尾を引いた。 どころではない。経験者の精神を永遠に、不可逆的に変質させたといっていい。 既に人肉喰いという、最大の禁忌に触れている。 「いまさら盗も付け火も殺人も、などて憚るべき…
天保の大飢饉から人々の飢餓から救った「のらぼう菜」 「のらぼう菜」という野菜を聞いたことがありますか?ウィキペディアで調べてみると、東京・埼玉あたりで栽培されている江戸東京野菜の一つと記されています。 私は西日本在住なので、あまりなじみのない野菜ですが、一度聞いたら忘れられないようなユニークな名前です。 「のらぼう菜」の由来には諸説あるようですが、江戸時代、やせたこの地の農民は何年もかけてアブラナを改良しこの地に合った春菜を作ったある日、代官が検分に来ることになり、村人は年貢が上がるのを恐れて寺の坊さんに相談に行ったそうです。 坊さんから知恵をもらった農民は、検分当日、代官から「あの畑に植えて…
ついに青崩峠のトンネルが開通した! というニュースを見てしまい喜ぶ。 そういえば稲荷山のトンネルはいつから通行可なんだろう(こっちは貫通したのが2018年)と思い切って工事現場まで行ってみた。絶賛工事中だった。バイパスに繋がるトンネル前後の道だってそう距離はないんだけど…水田跡の発掘調査やったりしてたせいかな? その近くにある笹焼神社。変わった名前だ。 案内板によると、だいたいこんな感じ? 「笹焼」という字地にあるから笹焼神社 郡(地区名)の産土神 古代は笹など生い茂る薮を焼き払って農地としたため、開拓神ではないかとも言われている 御祭神は瀬織津姫命 瀬織津姫命は、明治41(1908)年に書か…
【きょうの人】 0517 ■ 高杉晋作 久坂玄瑞等とともに尊皇攘夷運動をした長州藩士 ■ 臨済 臨済宗の開祖、中国・曹州南華県(山東省)出身 気になる人をご紹介します。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。 ■ 伊能忠敬 日本の正確な姿を明らかに いのう ただたか 延享2年1月11日〈1745年2月11日〉-文化15年4月13日〈1818年5月17日〉 江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家 通称は三郎右衛門(さぶろえもん)、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。 上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家に生まれました。後…
【きょうの人】 0513 ■ 松平 定信 没 江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫、寛政の改革 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。 ■ 松平 定信 没 江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫、寛政の改革 まつだいら さだのぶ 宝暦8年12月27日(1759年1月25日)-文政12年5月13日(1829年6月14日) 江戸時代中期の大名、陸奥国白河藩3代藩主で、老中を務めました。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫に当たります。 1787年から1793年まで寛政の改革を行いました。定信は、田沼の政策…
GW後半、残念ながら岩手は雨模様だった。農作業もおやすみで暇なので遠野の山奥にある神社を見に行ってみた。 PENTAX KP HD PENTAX-DA 20-40mmF2.8-4ED Limited DC WR 20mm f/5.6 SS1/50 ISO400 やってきたのは程洞稲荷神社。ご覧の通り、なかなかの深山ぷり。 この入口から10分ほど登っていったところにお社がある。 PENTAX KP smc PENTAX-DA★55mm F1.4 SDM f/1.4 SS1/125 ISO400 雨中の森ということで今回は全て銀残しで撮影した。 PENTAXの銀残しは単なるブリーチバイパスとは趣が…
今週は〇ータリーの地区研修会が有り、入会二年目の私は岐阜県の多治見市まで出向きましたので釣りには行けませんでした。土曜日丸一日潰れましたが、多治見と言えば美濃焼の名工を多く輩出した聖地ですので、それなりに感慨に浸っておりました。帰りも遅くなり、借り上げ社宅の玄関をくぐったのは21時を回った辺りでした。翌朝は刀の手入れを行ったのですが、思うところが有ったので今回ご紹介させて頂きます。 刀の部位名称で手持ちの部分を中心(なかご)と言います。此処には通常は作者の銘が切られております。此れは大宝律令(701~704年)によって定められたと伝わっております。金工師が銘を入れる時には『彫る』と表現しますが…
【経営コンサルタントの独り言】 地図の日といえばこの人を忘れることはできません 419 平素は、ご愛読をありがとうございます。 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。 ■ 地図の日といえばこの人を忘れることはできません 419 4月19日は「地図の日(最初の一歩の日)」ですが、地図といえば忘れてならないのが伊能忠敬ですね。 江戸時代寛政年間に簡単な器械だけで足で稼いだ測量で、こんにちの地図と大きな違いなく作成したというのは驚きです。 寛政年間といいますと浅間山噴火から天明の大飢饉などで一揆が多発し…
目次 1.善光寺 2.戸隠神社 1.善光寺 今日は2015年11月10日放送の空から日本を見てみようで紹介された長野市について調べてみた。 最初は善光寺について。 日本で仏教が各宗派に分かつ以前から存続する無宗派の仏教寺院。 創建については諸説あるが天武天皇が諸国に建立した群寺の一つとする説が有力だ。 また、善光寺の起源を伝える善光寺縁起が平安時代に成立した。信仰についての貴重な資料であるが、伝説的な内容も多い。 本尊である一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏の霊蔵とされ、住職ですら目にすることはできず御開帳では本尊の分身が公開される。 関東で信仰が盛んで、源頼朝も参詣している。鎌倉期を通じて幕府から…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 現代の日本人は、本当に起きた事実としての歴史が嫌いである、と言うよりは理解するほどの民族的な歴史力・伝統力・文化力・宗教力が欠如している。 ・ ・ ・ 後期水戸学が、外国の侵略から神国日本を守れと檄を飛ばした「夷狄」とは、南のアヘン戦争のイギリスではなく、東のペリーの黒船艦隊でもなく、北の北海道・北方領土・樺太で海賊行為を行ったロシアであった。 江戸時代後期に起きたロシアの日本侵略の脅威が理解できるかできないかで、歴史力がわかる。 その傾向が強いのが、超エリート層と言われる高学歴の…
浄土宗 乗蓮寺 目次 名称・寺格 創建 本尊 みどころ アクセス 探訪レポート 名称・寺格 赤塚山 浄蓮寺と称します。山号院号をいくつか改称した歴史があり、孤雲山慶学院→慶学山花岳院としていた時代もあります。寺格は別格本山という位置づけでしたが、現在の浄土宗では別格本山は表記されていません。 創建 室町時代、応永年間(1394-1428年)に了賢無的上人が山中村(現在の板橋区仲町)に浄土宗の布教のために創設しました。 本尊 阿弥陀如来 みどころ 有名な東京大仏が鎮座されています。境内はよく整備されていて、丁寧な説明書きもあり、きちんと理解しながら拝観できます。 アクセス 東京都板橋区赤塚5-2…
古文研究法130-2 十訓抄より:炎旱(えんかん)の天にはかに雲り渡りて大なる雨降りて、枯れたる稲葉おしなべて緑にかへりけり。忽(たちま)ちに天災をやはらぐる事、唐の貞観の帝の蝗(いなご)を飲めりし政(まつりごと)にも劣らざりけり。 するとカンカン照りの空が急に曇って大雨が降り枯れていた稲の葉がすっかり緑を回復した。即座に天災を撃退したのは、唐の太宗皇帝がイナゴを食べたという善政にも負けない。 N君:ある気候学者の話によると日本の気候はザックリと以下のように変化してきたそうです。縄文以前は寒冷、縄文~弥生時代は温暖、古墳~飛鳥~奈良時代は寒冷、平安時代は温暖、鎌倉~室町~江戸~明治時代は寒冷、…
杉田玄白は天明三(1783)年の浅間山噴火をこのように書き記す。7月9日の午後から江戸川の水が濁りだし、次第に、根から引っこ抜けた大木が、人家の材木が、そして家の中の家具や日用品がどれもこれも粉々に砕け散って流れてきた。その中には手足のちぎれた遺体も混ざっていた。 日光街道の幸手宿(現在の埼玉県幸手市)からは、近くを流れる川に、家や倉の壊れた材木、柱、障子、襖(ふすま)、調度品、生えていたはずの樹木、そして、老若男女の遺体が流れてきたという知らせが届いた。 川を流れる遺体と瓦礫の中から上野国(現在の群馬県)の地名のある鞍が見つかり、どうやら上流で何かが起こったことがここではじめて判明した。 以…
【きょうの人】 0402 ■ 高村光太郎 私の座右の銘「道程」の作者 ■ 隠元隆琦 黄檗宗の祖 インゲン豆でも知られる ■ 上杉 鷹山 海外でも知られる日本を代表する名君 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。 ■ 隠元隆琦 黄檗宗の祖 インゲン豆でも知られる 隠元隆琦(いんげん りゅうき) 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師 勅賜として真空大師、華光大…
江戸時代において、酒類の販売禁止が実施されたことがあります。この出来事は「寛政の酒禁令」として知られており、その詳細について説明していきます。 寛政年間は、1789年から1801年までの期間を指し、江戸時代後期の時代でした。この時代、日本は天明の大飢饉などの自然災害に見舞われ、社会的混乱が生じていました。また、当時の江戸幕府は財政難に陥っており、税収増加のために新たな収益源を模索していました。 そこで、幕府は「寛政の改革」と呼ばれる政策を打ち出しました。この政策の一環として、酒類の販売禁止が実施されたのです。酒類の販売禁止によって、幕府は酒税を徴収することで収入を確保しようとしたのです。 寛政…
ネタバレを含みます。が、観てない人には何書いてあるかわからないレベルなので読んでから劇場に行けば、あ〜この記事はそういうこと言いたかったのか、と納得できると思います。 もちろん、映画観てから読んで頂くことを推奨します。他の人のレビューを見てもこういっま考察がなかったので書いてみました。 ポイントはわたしにとってず〜〜〜と違和感のあった富士山についてです。 よろしくお願い致します。 違和感のなかった富士山 違和感のあった富士山 これも富士山? 新海誠が伝えたかったこと 余談(天明の飢饉について) まとめ 違和感のなかった富士山 さて、旅の道中。すずめとそうたは新幹線に乗ります。 そこでわざわざ富…
人類史上最大の天敵とは? 春… 厳しい冬の寒さを凌ぎ、ようやく訪れる温暖の季節。巷には花たちが咲き乱れ、一年のうちで最も美しい風景を作る季節とも言われます。 このように、明るく華やいだイメージのある「春」ですが…実は古来、春こそは最も恐ろしい季節でもあったのです。 筆者紹介 こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均35泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。 旅人サイファ実績 ・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No1 ・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライ ・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数 ・…