日本の江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年)にかけて発生した飢饉。江戸四大飢饉の1つで、江戸時代最悪の飢饉であった。悪天候や冷害、岩木山や浅間山の噴火などによる農作物の不作による飢饉であった。また、1783年のアイスランドのラキ火山の噴火などが原因とされる世界的な異常気象も飢饉の原因の1つとされている。
広瀬川に架かる橋に「広瀬橋」があります 昔は「長(永)町橋」と言ったこともあったようです さて、北に向かって広瀬橋わたるとすぐそばに桃源院があります 写真は桃源院山門の下部分 珍しいですよね 珍しい山門 現在ここの住所は河原町となっていますが、昔は新河原町といって仙台城下ではありませんでした ※河原町は城下でした 天保・天明飢饉の時にはこの辺りに施粥所が設けられ、在郷から一日3000人も集まってきたそうです たくさんの方が飢えで亡くなりました そんな方を弔うため、叢塚(くさむらつか)が建てられました 仙台市内には3基建てられています そしてその1基がここ桃源院にあります 山門を入ってすぐ右側に…
その年最初の「庚申」(かのえさる) の日のことを 「初庚申」(はつこうしん) と言います。 この日は「帝釈天」の最初の縁日で、 各地の「帝釈天」を祀る寺や「庚申堂」は 悪疫除去・亡霊鎮護を祈る参詣者で 賑わいます。 祭神としては、仏教では「帝釈天」や 「青面金剛」(しょうめんこんごう)、 神道では「猿田彦」を祀りしています。 www.linderabell.com 大阪・四天王寺の「庚申堂」 柴又帝釈天の「初庚申」 大阪・四天王寺の「庚申堂」 大阪・四天王寺の境外にある「庚申堂」は、 「青面金剛童子」(しょうめんこんごうどうじ) を祀る 諸国「庚申」の本寺とされ、 60日に一度、年に6度の庚申…
ルフィ、キム、桃太郎、、21世紀の犯罪ですね。実名だけにした方がよいのか、容疑が固まるまで、通称でもよいのか。 宮台氏の襲撃事件は、犯人死亡で、動機は、闇のなか? ものは盗っても、人は傷つけるな!盗るのもよくないのはいうまでもないが、そこに大きなボーダーがあるのは忘れないで欲しいのですが、、、。 先日、天明の打ち壊しの番組を見ました。NHKはさりげなく政治批判をタイムリーに報道します。「どうにも止まらないインフレ、」「助けてくれない」「新政権誕生」? 今はまだ4倍にはなっては、いないとも読めますが、、、。 「天明の打ちこわし 怒りの抗議が世を変えた!」(NHK「英雄たちの選択」2/1) <米の…
角銭こそは天明の飢饉の遺子である。 人心も、治安も、経済も――あの空前の凶作以来、すべてが堕ちた。 東北地方、特に津軽のあたりでは、野良着姿の百姓までが、蔬菜の出来を語るのと何も変わらぬ顔つきで、 「老人の肉、死人の肉は不味くてかなわん。ぱさぱさしていて味がない。ちっとも力がつく気がしない」「喰うならやはり、女子供か。味が濃くて柔らかだ」 カニバリズムの品評を交換し合ったほどである。 こういう異常な体験は、もちろん長く尾を引いた。 どころではない。経験者の精神を永遠に、不可逆的に変質させたといっていい。 既に人肉喰いという、最大の禁忌に触れている。 「いまさら盗も付け火も殺人も、などて憚るべき…
天保の大飢饉から人々の飢餓から救った「のらぼう菜」 「のらぼう菜」という野菜を聞いたことがありますか?ウィキペディアで調べてみると、東京・埼玉あたりで栽培されている江戸東京野菜の一つと記されています。 私は西日本在住なので、あまりなじみのない野菜ですが、一度聞いたら忘れられないようなユニークな名前です。 「のらぼう菜」の由来には諸説あるようですが、江戸時代、やせたこの地の農民は何年もかけてアブラナを改良しこの地に合った春菜を作ったある日、代官が検分に来ることになり、村人は年貢が上がるのを恐れて寺の坊さんに相談に行ったそうです。 坊さんから知恵をもらった農民は、検分当日、代官から「あの畑に植えて…