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太史慈

(一般)
たいしじ

字は子義。三国志の英雄。
母の指示に従い、孔融を賊から救援すべく入城し、劉備への援軍要請の使者の役を務め、劉備と共に管亥を破った。
のち揚州刺史劉繇(劉ヨウ)の配下となるが、重く用いられなかったという。
その頃、孫策と一騎打ちをした*1が引き分けに終わった。
のちに劉繇が孫策に破れ、太史慈は捕虜となったが、処罰を免除され、孫策の配下となった。この時、孫策が太史慈に「以前の一騎打ちであなたが私を捕らえていたらどうしたであろうか」と問い、太史慈が「想像もつきません」と答えると、孫策は「あなたが私にしたであろう処遇をとろう」と言って将に任じたという。
41歳で建安11年(206)に死去した。
「三国志演義」では建安14年(209)の合肥の戦いで矢を浴びて戦死したという創作が加えられている。

*1:ちなみに、一騎打ちは「三国志演義」ではしばしば登場するが、「正史三国志」においては非常に稀な事例である。

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