-----講義録始め------ さて、明治の次は大正です。 大正期は1912年から1926年の約15年間という短い期間です。この時期になると、いわゆる「大正デモクラシー」の影響を受け、明治民法の改正を求める動きが表面化するようになりました。左側の写真は五・一五事件のもので、右側は当時盛り上がった婦人運動、その中心となった人たちが発行した雑誌『青鞜』です。 そこで、当時の政府は、政府内に会議体を設置して明治民法の改正を検討し始めました。その結果、大正も終わりに近づいた1925年(大正14年)に、明治民法の改正案が公表されました。 その改正案の中では、例えば、明治民法によって全国一律の方式とされ…