日本の江戸時代の幕府の旗本寄合席のこと。
→旗本寄合席
元禄14年6月9日。年寄衆は御屋形で初めて寄合がある。6日、9日、15日、18日、25日、28日。
元禄14年6月8日。寄合で諸役人へ国用人衆から通達がある。今までは年寄衆宅で月番の寄合、式日を行っていたが、今後は御屋形(三之丸御屋敷)で行うこととする。御用がある場合は御屋形に出てくるように。その場合も8ツ(午後2時)以後は急用でない限り先延ばしするように。8ツ以前に来るようにと申される。
元禄13年12月11日。水戸中納言様逝去により寄合が急に中止となる。廻文がある。一筆申し入れる。水戸中納言様は去る6日の暁に逝去なされたので、この日から17日まで音曲鳴物は中止し、穏便と老中が伝えられたので、その意をよく心得るように。恐惶謹言。12月11日。山田理右衛門。両城代殿。これに加えて、このことを同心衆・明組同心衆ならびに足軽その他支配の者へも申し渡すように。以上。
元禄13年11月27日。文左衛門は寄合に出たが、政右に頼んで昼前から源右へと出かける。口米の帳面を確認し、1時半(約3時間)で終える。
元禄12年閏9月3日。近頃、飯嶋七郎左衛門が役を解かれ、無役となる。皆が言うには、江戸で津守(松平義行)様の渡り小姓(美童)を自分の長屋へ呼んだと。この春に仕置を仰せ付けられた者の金のこともあったと。
元禄6年6月27日。晴。この日文左衛門が聞いたところでは、岩田八左衛門・田辺彦四郎が御役御免で寄合(無役となる。八左には不似合いな若気の至りあったと言い渡しがあると。