寿司とは自分にとり父親が時折持ち帰る経木の箱に入ったものだった。電力会社を相手に営業職をやっていた彼は接待や宴席の残り物を良く包んでもらっていたのだろう。しかしそれは握りだったのか巻き物だったのかも覚えていない。余り美味しいとは思えなかった。 さすがに成人すると寿司の味を知る。学生時代にアパート隣室の友と共に寿司屋に行った。その頃ようやく回転寿司が広まったのだろう。 空手をやる彼はタンパク質信奉者で脇目も振らずに赤身を中心に十八皿食べた。自分は十六皿。中身は覚えてはいない。レーンの上を廻る寿司が楽しかった。 恥を忍んで書くがあれ以来自分は日本では「回らない寿司屋」に行ったことがない。回らぬ寿司…