なんでもお稽古とか試験に向けた学習とか、修行はほどよい負荷でなければ続かない。 上達や熟達を考えるのが通常だから続くものがひとつの正しさの基準になる。 仏道修行をやり始めたのは、アジアの家庭に産まれたときから好き嫌いではなく、生活の中に組み込まれていたからであり、仏教が平和的だと感じたことがあるから現在も少しづつ継続したいと考えるのは、自然なことかもしれない。 しかし、この現代で仏道修行をやろうと思うのは、かなり難しい状況だ。資格試験や就職のためのお稽古なら一生懸命に努力するのだが、仏道修行には富裕層でなければ経費の負担が重くのしかかる。 しかも仏教が平和的だという言葉に説得力があるのは、非暴…