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小林かいち

(アート)
こばやしかいち

大正から昭和初期にかけて活躍したとされる京都出身の抒情版画家。
主要な仕事は、絵はがき、絵封筒のデザイン。

小林かいちの世界―まぼろしの京都アール・デコ

小林かいちの世界―まぼろしの京都アール・デコ

生没年、経歴とも不詳であったが、2007年に作品をまとめた上記の本が刊行されたことがきっかけで、2008年に遺族がみつかり、正体が判明した。

「父が、かいちとは…」
謎の画家 長岡京に二男

父親が遺(のこ)した木版画作品のコピーを手にする遺族の小林嘉寿さん(京都市下京区)


大正から昭和初期にかけて京都で活躍した謎の画家で、近年、絵はがきや絵封筒に描かれたアール・デコ風の叙情的な作風が人気を集める小林かいちの遺族が9日までに、見つかった。


遺族によると、かいちは若き日に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大)で絵を学び、後に着物の図案家として生計を立てていたという。これまで出身地や生没年、経歴などは全く不明だったが、実像の一端が明らかになったことで、研究が大きく進みそうだ。


遺族は、かいちの二男で京都府長岡京市今里の無職小林嘉寿さん(63)。かいちの展覧会が京都精華大で開かれているのを、京都新聞を読んだ知人を通じて知り、同姓同名の「小林嘉一」の名で仕事をしていた父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、かいちの絵封筒に書かれているサインと一致。また、20歳ごろの父の写真に、かいちが関東大震災前後の若き日に使用した雅号「うたぢ」と同じ、「う多路」や「Utaji」の記名もあった。


戸籍謄本によると、かいちの本名は、小林嘉一郎で、本籍は東山区祇園町北側。1896年に旧家の長男として生まれ、京都絵専で学んだ後、嘉寿さんら三男一女を育て、1968年に72歳で亡くなった。嘉寿さんによると、かいちは「鷲見染工」という染色会社などに勤務。着物の図案などを描いて生計を立てていたという。22年発行の「京都図案家銘鑑」には「小林歌治」の名があることから、26歳ごろには図案家として身を立てていたようだ。


嘉寿さんは「父と一緒に遊んだ記憶はほとんどないが、夜中に、机に向かって御所車などの模様を描いていたのを覚えている。あの父が謎の画家のかいちだったとは本当に驚きました」と話している。


■実像把握へ一歩
かいちを研究している山田俊幸帝塚山学院大教授の話 これだけ状況証拠がそろえば、嘉寿さんの父がかいち本人であることは間違いない。実像把握への大きな一歩であるとともに、作品の印象だけで評価してきた従来の研究の流れが変わると思う。


【小林かいち】 女性がうつむいてたたずむ姿などを描く物憂げで耽美(たんび)的な世界は「京都アール・デコ」と称され、竹久夢二ら同時代の叙情画家の系譜に位置づけられる。大正から昭和初期にかけ、京都市中京区新京極三条の土産物店「さくら井屋」で木版画にされ、絵はがき、絵封筒セットとして販売された。近年の絵はがきブームと相まって人気が急上昇し、各地で展覧会が開催されている。昨年は初の画集も出版された。
本名 小林嘉一郎 1896年生まれ。1968年(72歳)没。


京都新聞2月9日(土)の記事より。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008020900099&genre=M1&area=K30

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