元禄12年9月9日。惣河戸で後藤伴左衛門の足軽八兵衛が大公(光友)の御広間坊主冨永正竹を切り殺して逃げようとする。そこへ16になる正竹弟がやってくるが、眉の上を切られ、両手を顔に当て逃げて帰る。八兵衛はまた逃げようとするが、辻番が止まれ、止まれと追ってくるので、東の土居の上で腹を切って死んでしまう。実は辻番は見て見ぬふりをしており、嘘をついたので御城下を追放となる。八兵衛は正竹の親が取り立てた者であった。正竹はどうしようもない者で八兵衛などに借金をして返済もしていなかった。この日、八兵衛が正竹の親のところへ来て、江戸へ行くことになったので金を返してほしいと言った。しかし、正竹は取り合わず、逆に…