宝永7年10月13日。父弥左衛門までは従弟のため類族(一族)の調べがあったが、今度の弥左衛門からはなくなった。今朝死んだと報告する。酉半(午後6時)、肝煎がやって来て、取置は任せると云々。戌(午後7時)過ぎに葬送する。導師は本住寺、号は修了院性円。文左衛門は子(午後11時)前に帰る。巳(午前9時)から文左衛門は出かけており、夕暮れ前に一度戻ってから寺へ出かけた。その後、文助のところへ行ってこの如く。
文政2年1月17日。東寺町常題目本立寺で本堂の再興がなり、入仏供養が行われる。21日まで朗師500遠忌が執り行われる。同日同所本住寺でも同じ法会が執り行われる。