宝永1年10月15日。七ツ寺弁財天平家講がいつも通り行われる。烏森善遊寺が善篤寺で住職となる。
宝永1年9月11日。大光院逸堂が万松寺の住職となり、善篤寺は大光院の住職となる。この逸堂は金銀に手を触れることはせず、無欲な堅物であった。慈悲礼儀深く、かつてお褒めにあった坊主であると。
元禄13年12月13日。申(午後3時)前、善右へ頼母子に出かける。2分を賭け、赤堀次郎次郎兵衛が得る。(後略)近頃、稲生自入が乱心する。稲生伊右衛門のところへ引き取る。白昼、槍の太刀走り(口金から血溜まりまで)に手拭いを巻き、抜き身にして方々を徘徊する。6日に善篤寺へこの槍を提げ行き、訳の分からぬ事を言う。これによって知れ渡る。