東海道に設けられた53の宿場町。 江戸時代に入って江戸幕府が開かれると、江戸と京とを結ぶ東海道は特に整備されるようになった。それまで、輸送に従事する人足・馬方は街道沿いの街々で個別に営業していた。それを特定の町に集め、公的な使役のために利用できるようにした。その町が東海道に五十三箇所置かれたので、「東海道五十三次」と呼ばれるようになった。
東海道五十三呑み次の6日目です。前回は箱根関所の手前、芦ノ湖まで歩きました。 前回:霧の芦ノ湖 今回:くもりですが視界は良好です 道路脇に残されている旧街道の杉並木を歩きます。しばらく歩くと、箱根関所の門が見えてきました。 箱根関所が開くのは午前9時。開門直後に到着しました。 当然ですが、箱根関所は復元されたものです。2007年春に復元整備を終えたそうです。 高札と大番所 番所の中にはお役人さんの像が置かれています 山の上には遠見番所が復元されており、番所全体と芦ノ湖を見渡すことができます 箱根関所を無事に抜けると、東海道は芦ノ湖沿いの道路になります。 が、しばらく進むと江戸時代の石畳が残され…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して4宿目「石部(目川の里)」 です。 下が原画です。4作目で、随分、全景に近いものを作れるようになっていました。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 海道は平坦な路が続く。水口から石部宿まで9.3里。この間に広重の描いた「目川里」がある。ここは菜飯と田楽が有名で、その店「伊勢屋」を描いたのが、この絵である。春の景色らしく、遠く見える山、三上山も春霞の彼方に薄鼠に眠っているように、おだやかである。海道には伊勢参りの連中のさんざめきが賑やかである。この一群の人物の描写が実に巧みで、名物店の前の旅情を表現して遺憾…
東海道五十三呑み次の5日目の後半です。前半は国府津駅から小田原宿を経て、箱根湯本駅手前の三枚橋を渡りました。 ここから、天下の険 箱根八里の登りが始まります。 三枚橋を渡るといきなりの急坂。この先どうなるのでしょうか。 坂道を登っていくと道路の右側に、箱根旧街道入口があります。そちらの道を進むと石畳の道が残されていました。 この先、石畳の道と道路をひたすらに登ります。前日雨が降ったせいで石畳は滑りやすいのですが、よく考えたら石畳でなく土の道だとぐちゃぐちゃにぬかるんで滑りまくり、とてもこの坂は登れたかったでしょう。東海道が整備された初期は竹を敷いていたところ、すぐダメになるので石畳を整備したそ…
東海道五十三呑み次の5日目の前半です。前回歩き終えた国府津駅からスタートし、小田原宿を越えて箱根を目指します。 小田原までの道は基本的に国道1号線です。風情も何もあったもんじゃありませんが、ところどころ松並木が保存されているところがあるとうれしくなります。 国府津駅から1時間弱で、酒匂川につきました。現在は酒匂橋を渡って越えますが、江戸時代は架橋が禁止されていたので、川越人足の力を借りて渡っていたそうです。 浮世絵 「小田原 酒匂川」 現在の酒匂川 浮世絵に描かれているほどではありませんが、箱根の山がそびえています。 酒匂川を越えしばらく歩くと、一里塚と江戸口見附(山王口)があり、ここからが小…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次です。元々は江戸を出発点にしますが、逆の 京を始発にしたので草津が3宿目になります。 下が原画ですが、全景に近いものを作れるようになりました。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 海道は右手に琵琶湖が近く、草津に着く。石部から10.7里に当たる。ここは中山道と東海道の分かれ道、つまり追分で、中山道は江戸から木曽路を通って、ここで合している。従って宿駅としては繁栄を見たところと思われる。 広重は、ここの立場でもあった、名物姥ヶ餅屋を描いている。街道には慌ただしく早駕篭が飛び、上納荷が担がれていく。しかし姥ヶ餅屋では旅人も馬…
【健脚すぎる旅人さん登場!】🚶♂️✨歩くの大好き!! な旅人さんがご宿泊〜! なんと今回の旅は…東海道を江戸からここまで、1日平均50kmのペースで歩いて来られたそうです!🔥まさに超人レベルの健脚!! その夜は…🍶お酒大好きな別の旅人さんと乾杯!旅人同士、初対面でも語り合えるのが石垣屋のいいところ♪ そして翌朝…「じゃあ行ってきまーす!」と元気に出発!🌞🍀足腰もお酒も強いスーパー旅人さんでした〜! またお会いできるのを楽しみにしています♪お気をつけて、よい旅を!
東海道五十三呑み次の4日目の後半です。前半は平塚駅で白ワインを飲みました。 平塚駅を出て旧東海道に戻ると、駅前商店街です。 商店街のアーケードが終わると前方に高麗山(こまやま)が見えます。特徴的な形で昔から目印にもなっており、浮世絵にも描かれています。 現在 浮世絵 「平塚 繩手道」 この先に、江戸方見附跡がありました。あれ、というこはここからが平塚宿です。平塚宿は平塚駅の西側平塚駅は平塚宿の東側に作られたのですね。 江戸見附跡 案内板 江戸見附跡を過ぎると、脇本陣跡、高札場跡、本陣跡があり、西組問屋場跡から右折して寄り道して、平塚の由来となった平たい塚を見ました。 右の石柵で囲われているとこ…
東海道五十三呑み次の4日目です。 小田急の藤沢本町駅から歩き始めます。西に向かって少し歩くと京見附跡があります。藤沢宿はここまでで、三里半先の平塚宿を目指します。 引地川を渡り、メルシャンワインの工場を横目に見て(見学はできなそうでした)、大山道との分岐に差し掛かります。直進は東海道、右の道が大山道で、大山道道標がお堂の中にありました。 引き続き西に向かって歩くとすぐに四ツ谷一里塚跡の案内柱、どんどこ歩いて茅ヶ崎一里塚跡、さらに歩くと道が北向きに曲がり富士山が左側に見える南湖の左富士の碑があります。この季節ですので空気が霞んでいて富士山は見えませんでした。 次のランドマークは旧相模川橋脚跡。昔…
二つ目のシリーズものは歌川広重の東海道五十三次です。元々は江戸を 出発点にしますが、逆の京にしたので大津が2宿目になります。 下が原画ですが、全景を作るには技量と根気が不足でした。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 東海道最終の宿場は大津である。草津から14里。あと12里で、いよいよ京都である。大津は琵琶湖畔第一の町であり、天智天皇大津の宮のあとでもあり、附近には近江八景や、名所旧蹟に富み、大津絵、源五郎鮒などの名物も多い。しかし広重は画題を「走井(はしりい)茶屋」を描いている。ここの茶店では「走井餅」を売っていた。今もこれは大津の名物であり、茶店の…
東海道五十三呑み次の3日目の後半です。前半は保土ヶ谷宿から戸塚宿まで歩きました。 東海道はJR東海道線にぶった切られているので、歩道橋でJRを越えます。 戸塚宿には本陣跡などいくつかの案内板・案内柱がありますが、それしかありません。 上方見附跡を過ぎると大坂です。関西にある大都市ではなく大きな坂。登りきると国道1号線と合流し、(東京の若者が集まる街ではない)原宿の一里塚跡があります。 国道1号線から旧東海道が左に分岐すると藤沢市に入ります。鶴見区からここまで横浜市でしたので、かなり長い間横浜市にいたことになります。 この先は箱根駅伝で有名な遊行寺の坂を下ります。権太坂とは違い、ここは箱根駅伝で…