東海道に設けられた53の宿場町。 江戸時代に入って江戸幕府が開かれると、江戸と京とを結ぶ東海道は特に整備されるようになった。それまで、輸送に従事する人足・馬方は街道沿いの街々で個別に営業していた。それを特定の町に集め、公的な使役のために利用できるようにした。その町が東海道に五十三箇所置かれたので、「東海道五十三次」と呼ばれるようになった。
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して27宿目、いよいよ「見附(天竜川図))」です。渡し舟が接岸した時の様子、楽しく作りました。下は先に作った遠景の風景です。 下が原画です。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 袋井から六粁で見附宿(現在磐田市)につくが、この宿を出ると、天竜川で行く手を拒まれる。しかし、天竜川は急流なので舟で渡った。この舟渡しの情景を描いたのが、この絵である。東海道には川の絵が多いが、この絵は川の絵の中でも傑作といわれている。それは、霧に煙る遠景の色彩処理と近景の描写にすぐれた広重の手腕が示されているからである。この絵では近…
*****昨日のことです***** 晩ご飯はまごころ弁当をいただきました。 夕食_20251105 主菜は豚キムチ鍋風でした。 美味しかったです。 食後、ぬか床に塩を混ぜ込みました。 ぬか漬け_20251105 ぬか床は生き物なので世話を焼かないといけません。 夜はSecond LifeにINし、 Cafeゆらぎさんにお邪魔しました。 SL_20251105 左:わたし、右:桜ちゃん 前日の疲れで、この日はわたしは全然活躍しませんでしたああああああ。 *****今日のお話です***** 今朝は6時起床。 7時からジャパンレンタカーでテナーサックスの練習をしました。 (もっと練習したい。 どんど…
こんばんは。 七里の渡しに乗りました。 江戸時代に整備された東海道五十三次。東海道は、江戸から京都までずっと陸路なわけではなく、海路もありました。それが、七里の渡しです。 ❏ 七里の渡しとは 引用 Wikipedia 七里の渡しは、熱田神宮を前にした宮宿から、桑名宿までの27.5km(27.5/3.9≒7里)を結びます。なぜ陸を行かなかったのでしょう? 江戸時代までの尾張西部は、陸地が安定しませんでした。ここは木曽川・長良川・揖斐川(木曽三川)の合流域で、川が運び込む土砂の堆積で水深が浅く、洪水が頻発していました。このようなところで陸路にこだわると何度も渡船や徒渉が必要とされます。そのため、律…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して26宿目、いよいよ「浜松(冬枯図)」です。街道での焚火、煙の表現が難しかった記憶があります。何と言っても中央にそびえる一本松の存在感、すごいですね。遠景にお城も入れて、楽しく作りました。方向を変え少し拡大しましたので焚火の様子がよく見えます。 下が原画です。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 見附を出て、16.8・。街道は再び海へ近づいて浜松へ達する。しかし、広重の絵は、その宿から外れた街道筋の一本松を描いている。画題は「冬枯ノ図」。 まことに寒々とした冬の枯野の眺めである。杉の根方に雲助どもが焚火をし…
歌川広重 立体組上絵 東海道五十三次 「桑名 七里渡口」 このシリーズにて 葛飾北斎「富嶽三十六景」を作って欲しい…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して25宿目「舞阪(今切真景)」です。2回目の船、少し上手になったようです。原画では小さい乗客を楽しく作りました。方向を変え少し拡大しましたのでよく見えます。 下が原画です。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 舞阪は浜名湖の東岸の宿場である。ここから海上4里で対岸の荒井に達する。広重のこの絵は一つの風景画としては構図的にも成功している作である。この五十三次は風俗的風景がであるところが一つの特徴であるが、広重は例えば、由井。江尻のような完全ともいうべき風景画を処処にはさんで変化を与えているが、これもその内の一…
東海道五十三次・旧東海道サイクリング その一【日本橋〜平塚】 → ①、②、③ その二【平塚〜三島】 → ①、②、③ その三【三島〜蒲原】 → ①、②、③ その四【蒲原〜由比〜興津〜江尻〜(東静岡駅)】 → ① さて、二年前の11月3日、 東静岡駅手前での、 アクシデントによって中断した、 東海道五十三次、 旧東海道サイクリングですが、 その後、Matt.Jさんの体調や、 ゾウの家族の都合もありまして、 なかなか再開出来ずにおりましたが、 この度、ゾウと二人で、 近々再開することに致しました。 てな訳でパナチタンを、 点検に出して参りました。 最近店長が交代した、 バイシクルセオ船橋ガレージ。 …
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して24宿目「荒井(渡舟図)」です。初めての船、ちょっと難しかったようです。方向を変え少し拡大しました。 下が原画です。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 荒井(新居)は、舞阪から海上4里の渡しを渡った浜名湖の西岸の宿場である。ここに関所があり、箱根とともに海道の重要な関所であった。 絵は海上幔幕を張って渡る参勤交代の大名の渡し舟を中央に、手前の渡し船には中間どもが乗っているが、一里の、のどかな海上に、すっかりあきて大あくびである。他のものも背中をまるめて居眠っている。のどかな春の海は、その色にも、空の色に…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して23宿目「白須賀(汐見阪)」です。大名行列を楽しく作っていっました。アラが見えますが、少し拡大しました。 下が原画です。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 荒井宿から6.8里。ひろびろとした遠州灘の大景観が見られる汐見阪を越して、白須賀の宿に入る。画題も「汐見阪ノ図」とある。いま、坂を下って大名の行列がいく。この絵は左右をシンメトリカルに構図した作として面白い。手前の丘陵の線が左右に高く、中央がへこんでいる孤線であるが、この湾曲した線を用いることは、広重独特の構図法といってよく、他の図でも度々これを用い…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して22宿目「二川(猿が馬場)」です。原画よりも随分と拡大して作っていました。製作当時は、旅人の表情が見えるようにしたかったんでしょうね。 下が原画です。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 白須賀から4里で二川宿。このあたりは、赤松林はあるが平坦で画ざいにも乏しいことろである。街道の右手には巌殿観音があり、去来の句、「岩鼻やここにもひとり月の客」がある。広重は、風景がでなく、情景画としてここを描いている。小松原の猿が馬場(画題)の夕暮で、なにもかも薄暗い夕闇の中を、旅する三人の瞽女の寂しい姿がいく。その足も…