画家。
1797-1858
世界的に有名な絵師。安藤広重とも。
火消し同心・安藤源右衛門の子として生まれる。
同心という身分でありながら絵に興味を抱き、歌川豊広に入門し、やがて広重を名乗って作品を発表するようになった後は家督を養子に譲り、自らは画家として生計を立てるようになる。
最初は当時流行していた美人画などを描いていたが、1833年に発表する「東海道五十三次」で大ブレイクした彼は、北斎と共に風景浮世絵師としてその名を轟かせた。
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して5宿目「水口(名物千瓢)」 です。 下が原画です。瓢箪作りの風景、楽しく作りました。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 鈴鹿峠を境に東海道は近江路に入り、草津までは下り一方となる。水口は土山から12.2里。野洲川の支流、横田川沿いである。この宿では、一年中いつでも、どじょう汁を出すことで知られていたというのも平凡な村落であったらしく、広重もここを描いて明るい近江路の、静かな田園風景を描いている。題して「名物干瓢」とある。 この地の名産の干瓢作りをする女たちの作業姿が面白く、残暑の乾いた街道を肌を脱いだ飛…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次、京から出発して4宿目「石部(目川の里)」 です。 下が原画です。4作目で、随分、全景に近いものを作れるようになっていました。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 海道は平坦な路が続く。水口から石部宿まで9.3里。この間に広重の描いた「目川里」がある。ここは菜飯と田楽が有名で、その店「伊勢屋」を描いたのが、この絵である。春の景色らしく、遠く見える山、三上山も春霞の彼方に薄鼠に眠っているように、おだやかである。海道には伊勢参りの連中のさんざめきが賑やかである。この一群の人物の描写が実に巧みで、名物店の前の旅情を表現して遺憾…
シリーズ歌川広重の東海道五十三次です。元々は江戸を出発点にしますが、逆の 京を始発にしたので草津が3宿目になります。 下が原画ですが、全景に近いものを作れるようになりました。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 海道は右手に琵琶湖が近く、草津に着く。石部から10.7里に当たる。ここは中山道と東海道の分かれ道、つまり追分で、中山道は江戸から木曽路を通って、ここで合している。従って宿駅としては繁栄を見たところと思われる。 広重は、ここの立場でもあった、名物姥ヶ餅屋を描いている。街道には慌ただしく早駕篭が飛び、上納荷が担がれていく。しかし姥ヶ餅屋では旅人も馬…
5月18日は国際博物館の日|公益財団法人日本博物館協会 博物館に親しんでもらうための日、全国各地で入場無料になったりの特典が。 私は博物館、美術館、記念館、郷土資料館などのミュージアムを普段から行きまくってますけど 社会人生活で「最後に行ったの高校生の社会科見学だわ」てな方もいたので 意外と皆が行くわけではなかったのか…という衝撃のおもひで。 ということで浮世絵に関する博物館の日記を。 大河ドラマ「べらぼう」効果でますます注目されている浮世絵(俺調べ) 成長した唐丸:染谷将太が登場し…東洲斎写楽?? とか前から話題になってましたが 喜多川歌麿でしたかあ。 江戸時代中期に転生しても母上には愛され…
二つ目のシリーズものは歌川広重の東海道五十三次です。元々は江戸を 出発点にしますが、逆の京にしたので大津が2宿目になります。 下が原画ですが、全景を作るには技量と根気が不足でした。 解説は西行きの逆コースで書かれています。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 東海道最終の宿場は大津である。草津から14里。あと12里で、いよいよ京都である。大津は琵琶湖畔第一の町であり、天智天皇大津の宮のあとでもあり、附近には近江八景や、名所旧蹟に富み、大津絵、源五郎鮒などの名物も多い。しかし広重は画題を「走井(はしりい)茶屋」を描いている。ここの茶店では「走井餅」を売っていた。今もこれは大津の名物であり、茶店の…
二つ目のシリーズものは歌川広重の東海道五十三次です。平面の浮世絵を 3次元化しようと言う野望を持ちました。 通常は江戸から京都へ行くコースですが、天邪鬼の精神が出て逆コースに しました。今回は出発を京にしましたので、解説は逆コースで説明が入っ ています。 下が原画です。作品は手抜き感一杯でしたね。 三条大橋の製作が大変だった記憶があります。 東海道五拾三次 解説 – 重右衛門 京師(三条大橋) 大津から逢坂山を越え、山城の国へ入る。山科の盆地をすぎて12里。いよいよ京の都へ入る。鴨川にかかる三条大橋を渡って入洛。広重は五十五枚の最後を「三条大橋」と題して描いた。 きのうの朝の日光ステーションホ…
近世や近代の西洋を舞台にした映画やアニメを見ているとよく馬車が出てきます。近頃はyoutubeで公開されている「小公女セーラ」や「フランダースの犬」を見ているのですが、そこでよく馬車が出てきます。「フランダースの犬」なんて犬が車を引いてますね。一方で江戸時代の日本はというと大名などの身分の高い人の移動手段は駕籠。庶民は基本徒歩です。しかし庶民でもお金を出せば駕籠に乗ることはできました。でも人間二人が駕籠を担いで移動するのと車に乗りそれを馬に引かせるのとでは後者の方が楽に思います。駕籠に乗っている人も狭くて座って揺られたらなんか酔いそうですよね。明治になると人力車がでてきます。なぜ日本人は馬に車…
♪♪ 当ブログは、アファリエイト広告などを利用しています。♪♪ このブログを見ていただき、ありがとうございます。 こちら、日曜に届きました。 永谷園のお茶漬けの素に日本画のカードが入っていますよね? その裏にプレゼント要項が書いてあったので応募していましたが、当選しました。 ここに運をつかってしまったか・・。確か外袋のほうで別なプレゼント企画があって パンダのリュックのほうも応募していましたが、そちらは当たらなさそうです。 こんな感じのカードが55枚入っております。その裏面にそれぞれ説明が書いてある。 けっこう色遣いがきれいですね。ちなみにお茶漬けの袋に入っているカードとは 違ってけっこうしっ…
足掛け3年年、全5回に渡ったこの東海道53次の旅もついに大円団を迎えることになった。ラストシーズンの今回は、滋賀県湖南市の「石部宿」手前から、京都三条大橋を目指す約50㎞の旅。これまでの半分程度の距離なので気持ち身体も楽である。 この区間は松並木は全く残っていないが、昭和の香りのする街角が多く残っている。塗装したものか焼杉なのかこげ茶の板壁を張った家が、かなりの区間続いている。東海道を歩く喜びではないが、昭和を歩く喜び、なつかしさはある。 大津から京へは峠越えが待っている。この東海道を京阪電車京津線がなぜか路面電車として走っている(上栄町~琵琶湖浜津間)。めちゃくちゃ(*)乗りたかったが、我慢…
梶よう子『広重ぶるう』は、ベロ藍に魅せられた歌川広重を描いている。阿部サダヲ主演で TV ドラマにもなっている。歌川広重がどんな生涯を送ったのか、この小説とドラマで知ったようなものである。 広重ぶるう (新潮文庫 か 79-10)作者:梶 よう子新潮社Amazon www.nhk.jp 太田記念美術館で「広重ブルー」という展覧会が開催されており、さっそく見に行った。 Web サイト(チラシ)から、展覧会の概要を引用する: 風景画の巨匠、歌川広重(1797~1858)。その作品は今も高い人気を誇りますが、とりわけ空や海の深く美しい青が印象的です。これは1830年頃から浮世絵に用いられたベロ藍(プ…