津田梅子

(一般)
つだうめこ

明治の教育者。日本の女子教育の先駆者として知られる。1864年生まれ、1929年没。

略歴

農学者・津田仙の娘として生まれる。

1871年、日本で最初の女子留学生5人のうちの1人として、7歳でアメリカへ渡る。1873年受洗。師範学校を卒業した後、1882年帰国。華族女学校の教師となる。1889年から1892年まで再留学し、ブリンマーカレッジで生物学を専攻。

帰国後、1900(明治33)年に女子英学塾を創立(後の津田塾大学)。英学塾ではアメリカの教育、特にブリンマーカレッジの研究者養成・職業進出の校風を受け、厳しい英語教育を行った。この伝統は現在でも守られている。一方、英語の普及のため雑誌「英文新報」や教科書を出版した。

1929年に永眠。前の晩に記された日記には「Stormy last night」とあった。

1984年には津田塾大学(東京都小平市)の本館のタワーから梅子の出した手紙が多数見つかり、話題となった。

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