美々津から出征したイワレビコ(神武天皇)は、豊国(大分)、筑紫(福岡)、安岐(広島)、吉備(岡山)、浪速(大阪)と、船団を進めていきました。 当時の浪速(大阪)は、生駒山の手前まで海(河内湾)だったため、船で進軍することができました。でも、潮流が激しく(浪が速く)、かなり手こずったようです。 生駒山を越えれば、目的地の大和(奈良)です。しかし、ここで大和の豪族・ナガスネヒコの軍勢と戦闘になり、退却せざるを得なくなります。 手痛い敗北を喫したイワレビコは、別のルートを求めて紀伊(和歌山)の海路を迂回しますが、イザナミの墓と言われる花の窟神社を過ぎたあたりで暴風雨に見舞われます。 これにより船団は…