中島孤島の恩師坪内逍遙は、自らが監修する出版物の執筆を中島孤島ら門下生たちに任せたが、ただ門下生たちに仕事を紹介したり命じたりするだけではなく、その労をねぎらうことも忘れなかった。 逍遙は、当時東京の自宅以外に、熱海にも居を構えており、東京と熱海を行き来する生活を送っていたが、あるとき出版物の執筆を担当している弟子たちを熱海に招待した。 今でこそ東京から熱海に移動することは、さほど時間のかかることではないし、日帰り旅行できる距離ともいえるだろうが、大正時代当時は、東京から熱海へは気軽に移動できるような距離ではなかったと推測される。 また経済的にも時間的にもそれほど余裕を持っているわけではなく、…