李隆基(685年〜762年)
唐王朝の第6代皇帝。在位712年〜756年。
武則天(則天武后)が権勢を振るっていた時代に睿宗の第三子として生まれる。
705年に周(武周)に代わって唐が復活したが、今度は皇后の韋后が政を壟断し、帝位すら窺う勢いだった。玄宗(即位前だから李隆基ですが)は機を見て兵を挙げ、韋后とその一族を滅ぼした。
これによって玄宗は皇太子となり*1712年に皇帝として即位した。
即位後に唐は再び全盛期を取り戻し、その統治は「開元の治」と呼ばれた。
満ちれば、欠ける。玄宗は絶世の美女楊貴妃(楊玉環)に溺れ、政を疎かにするようになった。楊貴妃の一族にも皇帝の寵はおよび、楊国忠が宰相となる。楊国忠と対立したのが大物節度使の安禄山である。対立が激化した結果、安禄山は反乱を起こす。安史の乱(安禄山・史思明の乱)と呼ばれる動乱の始まりである。
玄宗は都を捨てて落ち延び、道中で楊国忠と楊貴妃も殺害されることになる。意気消沈した玄宗は退位し、その後亡くなった。
*1:玄宗の長兄は弟の力量を認めて、皇位争いを避けるために身を引いた。