戦後から、現在に至る迄の詩を、一般に現代詩と呼んでいる。 詩の愛好者が、現代の日本で、詩が読めると言う事は、大変な僥倖だと思われる。 現代詩は、日本の至宝である。 日本の伝統的な詩である短歌や俳句に定型が有るのに対して、現代詩には、全くそれが無く、完全に自由である所に特徴が有る。 それは、20世紀初頭のヨーロッパの散文詩を手本としている所に起因しているものと思われる。 その当時のヨーロッパでも、定型詩である韻文詩を書く詩人は居なくなっていた。
真実は、よく見えない物に魅かれては、よく見ようとして近づいた後に、諦めて少し離れて見えた物が花なのか何なのかを考えて出た質問だと思う。もうちょっとだけ分かったから確かめる為に、分からないふりをして作った質問には、その真実に近づけた質問になっていると思うよ。だから問題無いと思うよ。
">つかいふるしたはかりがだれの心にもあって ">なんでも重さをはかってくんだ同じものでも人によって重さはちがうお花いっぽんイス ひとつコーヒー一杯だってちがう重さしてる不思議だねちっぽけなものだって人によってはゾウより重いんだよ 空みつえ
「未練酒」(詩)音もなき 朔月(さくげつ)の夜の 調べに酔う頃月影も無く 静けさに独り 飲む酒よ今は亡き 古人(いにしえびと)の 和歌を詠むたび人影もなく 近くを流れる川の音だけが闇に響き 哀しき過去の扉を開く君への未練で 溢れんばかりのつらさ切なさ やるせなさ ※写真はCanvaからいただきました。 (20230320/私之若夜=しのわかや)
傾きの向こうに何があるのだろうかと、更に傾いて見た。何も見えないけど、傾いた事でバランスを覚えた。だからもう何度でも傾けそうな気がしてきた。最初は背筋を伸ばして座っていた椅子も、そんな気遣いは無用と背中への傾きを誘って来ては、ぼんやりと日差しの入る方へ目が行った。今日はいい天気だ
2020年9月のるんぺんパリ。
矢印について行っていいよ。だけど、その矢印は誰の矢印なんだ。誰が作った矢印なんだ。その誰かも分からない矢印を信じるのか。それは違うだろ、矢印は嘘では無い、見て来い、見て見ろ、見る必要がある、見たら分かる、の矢印だ。ついて来いじゃないし、確かな方向でも無い。ただの矢印だ。好奇心の。
「歌と雪月花」(詩)たのしからずや歌の交わり芳しき花や清かな月やしめやかに 降り積もる雪を 愛でながら ※写真はCanvaからいただきました。 (20230319/私之若夜=しのわかや)
「蜻蛉(かげろう)」(詩) 朝(あした)のことなど もう どうでもよくてあの部屋に向かう 俄に君に逢いたくなって儚い恋と知りながらはやる気持ちを抑えきれずに ※写真はCanvaからいただきました。 (20230318/私之若夜=しのわかや)
自分事しか考えてなければ、起こりうる事実は、重要な事実だ。その事実を確認しなければ、重大な事実になる。そうなってからも、その事実を確認しなければ、事実は無かったと記憶を無くす。周りから見えるひび割れは、毎日見ていると見慣れる。見慣れた風景に違和感を沸く事無く、それが誰かの意を欠く
シーツのように大きく広げれば、何もかも多く手に入るのかも知れない。大きく広げない事で、少なくても暖かく手にするかも知れない。サイボーグが動き出す理由は、人間より恐ろしい生き物が現れた時だった。それは神様の知ってる生き物だとしたら。シーツは何用にも使う事が出来る。考える時間が走る。
【大江健三郎そして大江健三郎】 1969年以降の大江健三郎の作品は、ほとんどが、題名も含めて詩であると、当方は考える。詩への嗜好、嗜好、思考は、1969年初出の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』は、それがテーマだといっていいくらい表出されている。本書の題名は、オーデンの詩から。氏は、昔から「詩を読むのが大好きだった」ことを明かしているが、それが徐々に、おそらくメキシコへ特認教授として招かれてから、ノーベル賞詩人のオクタビオ・パスに出会い、「詩人」としての自分をはっきりと自覚していく。氏がそのとき、おおいに感銘し、影響を受けたのが、オクタビオ・パス編集、サミュエル・ベケット翻訳の、メキシコ詩…
一九九六年に、アメリカで日本文学を研究しているスティーブン・ミラー准教授はPartings at Dawn: An Anthology of Japanese Gay Literature(『有明の別れ――日本ゲイ文学集』)という分厚い本を出して、第一歩を踏み出した。平安期から現在まで、フィクションもエッセーも詩歌(和歌から現代詩や短歌まで)も含めて、大きな網を投げたアンソロジーで、かなり期待が持てる。平安期の文学などに現れる登場人物たちの絆に、現在の「ゲイ」という概念をどこまで当て嵌められるかという問題はあるかもしれないが、文学史から削除された同性愛を復権する、貴重な貢献である。 ミラーのア…
江夏名枝『あわいつみ』(澪標、2020年10月10日刊)40ページのなかに散らされた「ことば」は、一行の時もあり、数行の時もある。アフォリズムほど力強くない「ことば」が「落とされている」ような。カバーは淡い紫色。遊び紙が淡い黄色の高級そうな紙。半透明の外カバー。そういう「意匠」である。これは、哲学にまで達していない、意味ありげ風な意匠で、今書かれている「現代詩」(国際的な用語ではなく、某社が創り出した言葉ではないか。普通日本の歴史の中で、詩といえば漢詩のことであり、西洋近代詩から輸入されたものなら、定型詩に対する、自由詩というものがある)は、ほとんど意匠である。B6版。はたして、印刷代はおいく…
■詩人ソマイア・ラミシュさんの呼びかけに応え、3月10日までに、日本からはおよそ20人の詩人から作品が寄せられたとのことです。ご理解を賜り、誠にありがとうございます。ソマイアさんから日本の詩人へのメッセージが3月20日頃に発信される予定です。https://t.co/c3ubYCSp99 1月15日にこの画像の禁止令がタリバンより発せられました。「日本アフガニスタン協会」に確認したところ、これは事実であり、現地で抗議運動が起きているとのことです。ソマイア・ラミシュさんによると、この発令後に詩人が詩を書くことは極めて危険とのことです。https://www.afintl.com/20230116…
思潮社「現代詩手帖」は、詩を厭わせる毒を撒き散らしてきたのが好きでないけれど。(つまらない吉本隆明や誰彼の放言を宣伝して)。けれども、『吉原幸子全詩Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』はとてもよい。Ⅲの彼女の朗読CDはよい。このCDに、私の敬愛する岡山のノートルダム清心女子大学の赤羽淑がこの詩人を招き確実に聴いていらしただろう朗読と話があり、その場での吉原幸子の話は心を全開に開き素直に、率直に語っていて、心に響き驚きました。現代詩ズレしていない。声はタバコと年齢のせいで、だみ声になってしまっていて、悲しいけれども。わたしを育ててくださった土曜美術社出版販売の編集者、加藤幾惠も、とても似ていて、悲しいだみ声になられてい…
第24回NHK全国短歌大会は落選だった。昨年の夏の誌上短歌大会で入選して以降、落選が続いていて、このまま短歌をつづけていいものか、随分と悩んできた。 aniron.hatenablog.com 今だって答えが出ているわけではない。ただ、落選を経たからといって、それですぐに向き不向きの判断をするのは、あまりにも性急すぎるのかもしれない。 これを書いている時点では、まだココア共和国の賞レースの結果も分かっていない段階だけれど、おそらく落ちているだろうと思っている。ただそれでも私は詩を書き続けるだろうし、短歌を同様の理由でやめるという判断をする必要はまだないのかもしれない。 今後、創作をして、投稿を…
安野光雅さんが小学校の先生をしていた時の生徒の一人が藤原正彦さんだそうです。 そしてこの本を企画した筑摩書房の松田さんも安野さんの生徒だったとのこと。 すごい小学校なのか、ただの偶然なのか。 豊かな日本語についてお二人が対談します。 日本語を母国語とする人間でありながら、その豊かさの半分も知らないのだな、と思いました。 藤原さんは漢文も日本分になっていると述べます。 書き下し文にしたものはもう日本語だと。 それに対し安野光雅さん 私は、漢詩が読めるわけではないのに、唐詩選などを読むと、日本の現代詩よりも触発されることが多いんです。 とてもよく分かります。 藤原正彦さんは数学者なのに大学で「読書…
特別お題「今だから話せること」 朝方まで眠れず、ひたすらブログを書いたり、FGOをプレイしたりしていた。 シェイクスピアにチョコレートを渡して、バレンタインシナリオを読んだ。 天啓なのか、と思う。 かつて私をモデルに詩を書いてくれた詩の師匠がいた。 お互いに結婚したこともあり、その人とはもう連絡を取り合えなくなってしまったけれど、彼が詩を書かなくなってからも、私は詩を書いている。継承する、という云い方はおこがましいし、彼の詩はどこまでも彼の詩であって、私の詩はどこまでも私の詩だ。 詩を書かずには乗り越えられない夜があるから詩を書く。そうしてひとりで詩を書き続けることに、ここのところ疲れを感じて…
中村三春先生より、ご著書をご恵投賜りました。 どうもありがとうございます。 『ひらがなの天使--谷川俊太郎の現代詩』(七月社) 翻訳についての章もあり、これから楽しみに拝読いたします。 www.7gatsusha.com
エッセーアイドルを探せ 「アイドル」というと、すぐに若い女優やジャニーズ系の歌手を思い浮かべる。古い話だが、僕が中学の頃、休み時間に隣の女の子が西郷輝彦のプロマイドを机の上に置いて眺めている姿を見て、イラッとしたのを覚えている。アイドルに嫉妬した最初の体験だったろう。 この「アイドル」は崇拝の対象なのだから、日本語訳の「偶像」に置き換えてもいいわけで、ならば言葉の対象範囲も広がるだろう。サイン会で握手しても、それは瞬間的な接触で、所詮は映像や会場の客席から眺めるだけなのだから、アイドルが生身の人間でもファンからすれば片思いだ。教会で信者が手を合わせるマリア様の絵(偶像)と変わらない。だからAI…
月経困難症と春先のいつもの不調に加えて、発情期の愛猫の世話や、ココア共和国の公募の当落結果発表間近ということで、不調に不調が重なって、デバフをかけられまくったサーヴァントのようになっている。 弱りきっているところに、3/8、無料石20連でアルジュナオルタをお迎えして、バレンタインシナリオを読んだ。 まるで神託のような言葉をいただいたなと思う。私は夢女子ではないのだけれど、アルジュナオルタは大事に育てたい。 とにかくここのところの私というと、結果を出せるか出せないかにこだわりすぎて、その内容について十分な吟味を加えられずにいたのだなと感じている。 ココア共和国から落選してしまった先月の詩を読み返…
1962年4月、蜘蛛出版社から刊行された桑島玄二(1924~1992)の第4詩集。装幀は貝原六一。著者は香川県生まれ。 「新領土」「現代詩」、亜騎保編集の「天秤」、それからぼくが編集していた「MENU」に発表の作品で、この詩集ができた。ただ作品中「島の手細工」だけは既刊の詩集に掲載分を含め、今度のようなかたちに再編してみた。 この詩集は、最近の商用旅行の車中でまとめた。途中大阪で一泊した。戦前大阪の日本橋筋は古本屋が軒を並べていた。ぼくの短かい青春はその町筋にこめられていたといっていい。たとえばぼくはそこの店先で、「20世紀」「新領土」の数人の青年詩人の仕事をしった。その界隈は戦災で焼失してい…
2023-03-05 #1 2023-03-05 #2 2023-03-06 2023-03-05 #1 NHK春の短歌大会に投稿しました。 自由詠は意図を汲んでもらえればありがたいかな……という感じですが、題詠の方はせめて通るといいな。何だか気持ちが落ち込んでいるので、落ちていたらさらに下がってしまいそうで、公募は少しお休みしたいという気持ちもありつつ、やはり投稿しないと前に進めない気がしていて。ネットで詩歌を公開して評価を得たとしても、私は過去にそれで全く満足できなかった人間なので、こうして落選を繰り返したとしても、細々と投稿を続けていくしかないのだろうなと思います。ときには自棄になってし…
『詩歌探偵フラヌール』高原英理著を読む。 猫探偵は迷い猫を探す。私立探偵はもし依頼人から失踪者調査を頼まれたら探す。詩歌探偵、メリとジュン。毎回不思議な場所や不思議な人と出会って古今東西のイカした詩歌を見つけ出す。全8篇の短篇集。主人公がアリスだったら『詩歌の国のアリス』になるけど。 まずは、「フラヌール」について引用。 「フラヌールはベンヤミンの『パサージュ論』に出て来る言葉で日本語にすると「遊歩者」」 乱歩の『屋根裏の散歩者』は、『屋根裏のフラヌール』になるってわけ。 以下適宜感じたことを。 〇萩原朔太郎の『月に吠える』に入っている「殺人事件」という詩がクール。 〇ランボーの『地獄の季節』…
『ヘクタール』大森静佳(文藝春秋2022)より抜粋 * * * * * * * 正面の、右の、左の顔があり左がもっとも火をふくむ顔 引き寄せてやがて静かに斬り落とす眠りの奥にあなたの腕を 瑪瑙という文字に酔いつつ読みすすむ頁に夜の翳りふかまる 読み終えて黒い表紙にあてる手のてのひらは読む夜のつづきを 雪の夜にひとりいっぽん手渡されわたしの斧がいちばんかるい 鼻孔より脳(なずき)ひきずりだすときの恍として手は火照りのさなか 顔の裏で顔のミイラが待っている 眉剃った夜は水を欲しがる ひらひらと捨てられただろう色褪せた翅、欠けた翅、わがままな翅 やがて翅は朽ちてしまえりゆうぐれを黒ずんでゆく翅の霊た…