相撲節会とは、奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事。 射礼、騎射とともに三度節と呼ばれた。 奈良時代の天平年間になると、毎年7月7日の七夕の節会と一体化して、近衛府、兵衛府の官人(武官)と、諸国から貢進された相撲人たちの間で宮中相撲が行われるようになった。 現存する相撲節会の最古の記録は、「宮中行事秘事」などに伝えられる聖武天皇の726年(神亀3年)である。
令和6(2024)年9月8日から、 両国国技館で「秋場所」が始まります。 ところで、相撲は、俳句の世界では、 「秋」の季語としてよく知られています。 奈良・平安時代、宮中では、 毎年7月 (陰暦・初秋) に 「相撲節会」(すまいのせちえ) が行われたため、 秋の行事ということになったようです。 相撲の歴史 相撲の起源~神話の中の相撲~ 宮中の年中行事「相撲節会」(すまひのせちえ) 武家社会における相撲 現在の大相撲は江戸時代にほぼ確立 明治以降の相撲 現在の相撲 祭りの儀式 独り相撲の語源「一人角力」 力士達の一挙手一投足 邪気を払う「四股踏み」 土俵を清める「塩まき」 体を清める「力水」 相…
訓読 >>> 886うち日さす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ 常(つね)知らぬ 国の奥処(おくか)を 百重山(ももへやま) 越えて過ぎ行き 何時(いつ)しかも 京師(みやこ)を見むと 思ひつつ 語らひ居れど 己(おの)が身し 労(いたは)しければ 玉桙(たまほこ)の 道の隈廻(くまみ)に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥(こ)い伏して 思ひつつ 嘆き臥(ふ)せらく 国に在らば 父とり見まし 家に在らば 母とり見まし 世間(よのなか)は かくのみならし 犬(いぬ)じもの 道に臥(ふ)してや 命過ぎなむ 887たらちしの母が目見ずておほほしく何方(いづち)向きてか吾(あ)が別るらむ …