司馬史観、なる言葉がある。 河合隼雄氏は、自分自身の生き方が一個の確固たる創作である、とおっしゃる。 歴史、というものは、自身が関わるものという感覚はあまりないのだが、大きく人生という視点で見ると自身の中の歴史というか、歴史の中の自分というか、当たり前であるが大きく関係するのである。 だがそのことに自覚的であることは難しい。少なくとも個人的には。 例えば私がユダヤ人でヒトラーのころに生きていればどうだろう。 あるいは逆にヒトラーのころのドイツ人であったなら。 最近NHKの「映像の世紀」を見ているが、やはり具体的な映像で見ると、文章では遠くの別世界の出来事のように思えた事象が、まさに今に地続きで…